アメリカでの主婦生活を淡々と記録するブログ

アメリカ生活の備忘録。育児の思い出記録が中心です。慣れない環境で頑張って生活していますが、喉元過ぎれば自分でも「何を頑張ってきたか」忘れてしまうので、アメリカで頑張って来たことや悩み事、楽しかった思い出の備忘録として書いています。

ワシントンDCの思い出(2024年1月)

引きこもりの1月に、いかに楽しい用事を作るか?

さて忙しかった10~12月が終わると、やっぱりアメリカの1月は何もありません。残すところ駐在も1年程度なので、できればこの期間にもたのしいことを計画したいものです。

<目次>

  • ★元旦からバースデーパーティ
  • ★謎の果物Buddha's Hand Citronを調理する
  • ★Glenstone Museum
  • ★Steven F. Udvar-Hazy Center
  • ★National Museum of African American History and culture
  • ★子供が冬休みの絵日記を書いてくれた
  • ★パンやクッキーを焼く日々
  • ★雪がたくさん降りました
  • ★White House Tour
  • ★Sushi Nakazawa DC(寿司)
  • ★Dauphine's(アメリカ南部料理)
  • ★韓国のママ友とクリームパンを作る
  • ★娘のお友達の自宅に遊びに行く
続きを読む

National Portrait Galleryで大統領の肖像画を見てきました

有名人の肖像画が多数展示されているNational Portrait Galleryにて、名物となっている大統領の肖像画展示を見てきました。
併せて、各大統領の人物像に触れながら、肖像画について解説をした"America's President”という本を読みました。

npg.si.edu

<目次>

  • ⁡1. National Portrait Galleryについて
    • ꙳なぜ大統領の肖像画は独立展示があるのか?꙳
    • ꙳「誰でも大統領になれる!」民主主義の国アメリカ꙳
  • 2.George Washington(初代大統領)
    • ⁡꙳偉大なる初代大統領、ジョージワシントン꙳
  • 3.Abraham Rincorn(第16代)
    • アメリカで人気のある大統領は誰?꙳
    • ꙳"不器用な世代"の後に登場꙳
    • ꙳写真を使ったイメージ戦略꙳
  • 4.Theodore Roosevelt(第26代)
    • ⁡꙳帝国主義者のイメージだったが・・・꙳
    • ⁡꙳肉食系すぎて怖い꙳
    • ꙳「映える」大統領꙳
    • ꙳当時のアメリカの世相꙳
  • 5.Franklin Delano Roosevelt(第32代)
    • ꙳ポリオに罹患、両足の自由を失う꙳
    • ꙳スピーチの名手꙳
    • ꙳大統領権限の拡大꙳

f:id:nazekadcniimasu:20240201012844j:image

⁡1. National Portrait Galleryについて

꙳なぜ大統領の肖像画は独立展示があるのか?꙳

Smithonian American Art Museumの半分ぐらいがNational Portrait Galleryですが、2階部分にPresidentの独立展示があります。

そもそも印刷技術の乏しかった時代では、国民は統治者の姿を見たりイメージすることが難しく、統治者の顔写真をポスター等で配布する技術は19世紀以降急速に発展したとのこと。

アメリカは、統治機構としては三権分立の仕組みをとり、大統領権限も限定的に規定されています。しかし大統領は、ひとりの個人のイメージが機関を代表するものであり、その権限は時に拡大してしまいかねませ。(例えば宣戦布告について議会にかけたのは、1941年のフランクリン・D・ルーズベルトが最後)

大統領というのは単に政治的機関にとどまらず、時にアメリカ社会の世相、美徳(悪徳も!)を代表する独自の地位にいるものと考えるならば、博物館は単に聖人伝に陥ることなくこれを敬意をもって批判し、その重要性を確認し続けることが使命である・・・!という考えで、大統領の肖像画は独自ブースを設けているようです。

大統領の肖像画コーナーの入口。

 

続きを読む

アメリカの移民の歴史について、学んだことを羅列する③

第1回第2回に続き、「移民国家アメリカの歴史」で学んだことを羅列します。

www.iwanami.co.jp

<目次>

  • ★第5章、第6章に書いてあったこと
  • ★興味深かったこと
  • ★以下、学んだこと詳細
    • 第5章 アジア系アメリカ人の戦後
      • (1)戦後のアジア人の境遇の変化
      • (2)戦後のアメリカ国内の変化
      • (3)戦後の国際社会の変化
      • (4)戦後の日系人移民
      • (5)戦後移民政策の第二章 ― ケネディ大統領とジョンソン大統領
    • 最終章 アジア系移民の歴史経験を語り継ぐ
続きを読む

アメリカの移民の歴史について、学んだことを羅列する②

前回に続き、「移民国家アメリカの歴史」という本で学んだことを羅列します。

www.iwanami.co.jp

<目次>

★第3章と第4章に書いてあったこと

  • 黒人問題の歴史では、19世紀後半以降の南北戦争後の再建政治は「失敗」とされ、南部ではジム・クロウ体制などの人種別社会が構築されていくが、アジア系移民に焦点を当てても、同様に人種の序列化・排斥化の時代となっている
  • アメリカ移民行政の根本に、移民を「選び捨てる」思想があるが、その背景には優生学思想があった。20世紀前半のアメリカは優生学の中心地であった。
  • 既に中国人問題によるアジア人排斥の動きのあるアメリカ西海岸に、中国人労働力の穴埋めのような形で日本人移民が入国してゆく。当時の日本人移民は、土地の所有や白人女性との結婚禁止、帰化禁止(1870年帰化法)などの排他的な制度環境に置かれ、1924年には排日移民法が制定された。
  • 第一次世界大戦では、戦争を通じ、理念により国民を統合させる効果があったほか、軍隊はアメリカの生活作法や語学を学ぶ場にもなった。
  • 第二次世界大戦では、真珠湾攻撃を機に日本人は資産を凍結され、強制収容所に入れられることとなった。

★興味深かったこと

  • 19世紀後半~20世紀初頭に
    •  南北戦争後にアメリカ全体が統合され、国としてのアイデンティティを深めていくことと同時に、白人至上主義が強まり、国家が人種で分断されてしまったこと。
    • 中国人を排除した後も、安価な労働力が必要とされていて、そこに日本人が登場したこと
    • 優生学アメリカ社会に広まっっていたこと。
    • 戦争を通じて多人種国家のアメリカが統合され行ったこと。
    • そして在米日本人も、アメリカ社会から排除されたもののひとつだったこと

・・・アメリカ全体の歴史と、在米日本人の歴史の関係性がよくわかり、頭が整理されました。

在米日系人の強制収容時に使用された管理番号バッジ@アメリカ歴史博物館

★以下、学んだこと詳細

第3章 「国民」を管理する

(1)「アメリカ人」の境界をめぐる抗争
  • 南北戦争後に「自由労働」「カラーブラインド」のイデオロギーに基づき、マイノリティをどこまで包摂していくか問い直され、いったんは中国人移民への市民権付与も現実味を帯びた。
  • 実際には「社会の人種化」が進行し、再建政治は終焉する(中国系移民は帰化不能移民」としてアメリカ人の埒外に置かれた)。
(2)ギアリー法(1892)による移民行政の強化
  • 全ての在米中国人に居住証明の登録を義務化:「不法滞在」が犯罪となる
  • 合法的居住者であることを証明する白人の証人を見つける必要
(3)人種主義と優生学
  • 移民行政の、国民を「選び捨てる」姿勢の根本にある考え
  • 人種混交は「退化」と考えるほか、性的倒錯、障害者、白痴、ユダヤ人、同性愛などの「内なる他者」も排除がめざされた時代
  • アメリカは優生学の中心地で、19世紀末までに異人種間結婚禁止法を制定した州は38にのぼる。
  • カーネギー財団やロックフェラー財団など、篤志家や私的財団が全面的支援
(4)20世紀転換点における革新主義
  • セオドア・ルーズヴェルト「ニュー・ナショナリズム
    • 教育を通じた移民のアメリカ化を推奨
    • 人種の自殺論:アメリカの人口が黒人や移民の高い出生率により脅威にさらされ、これら社会的「不適者」による「敵者」の逆淘汰が起こるという考、え。
    • フェミニズム批判:家族中心の国家、結婚して子供を産むことの大切さを説く。WASP女性に出産を奨励。
(5)巨大な包摂メカニズムとしての移民行政
  • 緩い移民行政
    • ヨーロッパの中央集権的な移民行政と異なり、アメリカは州が独自権限で帰化法を制定し、市民権付与の権限を持っていた。これが連邦政府マターとなったのは排華移民法・一般移民法成立の1882年以降である。
    • 帰化の統一ルールが定まったのも1907年以降。
  • 大きな労働需要がある故、産業界の利害を優先し、自由移民政策がとり続けられてきた
  • 初代移民局局長、テレンス・パウダリー(元労働騎士団団長)
    • 産業界の事情を優先した自由移民行政は、労働者からの反発を招いた
    • 移民への厳格な健康管理を求めたり、恣意的な法運用がなされた(労働組合出身の移民局長という癒着人事の影響)

第4章 日本人移民と二つの世界大戦

(1)日本人の渡米の開始
  • 19世紀に欧米諸国が広い海域ネットワークを構築
  • アメリカの商業捕鯨エリアはかなり広く、1820年には日本近海に到達していた。1854年日米和親条約アメリカ側の動機も、商業捕鯨の寄港地確保であった。1867年に、サンフランシスコ・横浜・香港間の航路が開設され、アジア系移民もこの航路で海を渡るようになった。
(2)日本人最初の在米コミュニティ
  • 若松コロニー:1869年に、戊辰戦争に敗れた会津藩出身者が入植してカリフォルニアに開拓村を開こうとしたが、2年後に離散した。
  • 「元年者」:ハワイ王国駐日領事のアメリカ人がプランテーション労働者を募集し、153名が渡米。過酷な労働環境に、明治政府が「国家の威信にかかわる問題」として約40名を奪還、残る90名はハワイに残留した。残った者の半数はアメリカ本土に移り住み、さらに残りはハワイ社会に定着した。
  • 開国したばかりの日本は、中国と同様に、労働力の供給源として見られていた。中国は移民問題に不干渉姿勢だったが、日本は初期段階から在外邦人の差別問題を国辱的な外交問題と認識したため、日本人渡航者は中国人苦力とは差別化された存在となってゆく。
(3)ハワイの官約移民
  • 「元年者」以降明治政府は日本人労働者の出国を禁じていたが、1880年代の松方財政により農村が困窮すると、方針転換をして日本人契約労働者をハワイの砂糖プランテーションに派遣することとした。(三井物産の取り仕切り)
  • ハワイ王国が崩壊し、ハワイ共和国が成立するまで約3万人がハワイに渡った。
  • その後、官約移民→私約移民として契約労働移民は継続し続けるが、1898年にアメリカがハワイを併合した際に、契約労働者の導入がアメリカ連邦法で禁じられていたため、その後は自由移民として、1907年までに68,000人の日本人がハワイに渡った。
  • 日本人はハワイ最大の移民集団となった*1。日本の他は中国、ポルトガル、フィリピン、朝鮮半島の移民がおり、劣悪な労働環境に全労働者が一致団結して抵抗することがないように、エスニック集団ごとに役割を変え、賃金を変え、分断して統制していた
(4)アメリカ本土への日系移民
  • ハワイに官約移民が送られ始めた頃、アメリカ本土にもサンフランシスコを玄関として日系移民が本格化した*2
  • 排華移民法により中国人労働者の流入が停止したことにおり、中国人労働者が担っていた仕事*3についた。
(5)排日運動のはじまり
  • 下記の理由により、排日運動が高まり始めた。
    • 既に西海岸では中国人移民を中心としたアジア系排除の動きがあったこと
    • 日露戦争*4満州事変などの国際政治の動きの影響
    • アメリカのフロンティア消滅(1890)や海外進出、「新移民」の大量流入と移民制限措置の開始などアメリカ側の要因
  • 日本人労働者は低賃金で働きその賃金を本国に送金し、労働争議の「スト破り」に頻繁に使用されるなど、中国人労働者と同じ理由で憎まれた。
  • 日本人学童隔離事件(1906)
    • サンフランシスコ学務局が、日本人児童93名を公立小学校から、中国人の通う東洋人公立学校に異動させる命令を下した。国際問題に発展し、日本政府が今後一切アメリカ本土行きの日本人労働者に旅券を発見しないことで落ち着いた(日米紳士協定)。
  • 写真花嫁
    • 日米紳士協定以降、既にアメリカ入国済みの移民は永住傾向が強まった。現地の白人女性と結婚することは禁じられており(異人種間結婚禁止法)、独身女性の入国も禁止されていたため、日本は結婚相手を「写真花嫁」という制度で本国から連れてくることとなった。これは恋愛主義のアメリカからは、野蛮な風習として批判された。
  • 外国人土地法(1913)
    • 帰化不能外国人による土地の所有を制限する法律。農業分野からの日本人移民の締め出しを企図していた。
  • 日本政府は日露戦争後に一等国としての自意識を強く持ち始めていたため、カリフォルニアの排日運動というローカルな現象について不快感をあらわにし、大統領や国務長官への直接的な働きかけで事態を鎮静化しようとした。
(6)第一次世界大戦アメリカの国民統合
  • 戦争による「移民のアメリカ化」
    • モンロー主義を貫いていたウィルソン大統領が、ドイツの無差別潜水艦爆撃事件で多数のアメリカ人が犠牲になったことを受け「平和と民主主義、人間の権利を守る戦い」「諸民族を開放する闘争」「すべての戦争を終わらせるための戦争」と位置づけ参戦(1917)
    • アメリカ国内の外国生まれ人口は1910年で総人口の14.7%。最大の移民集団はドイツであり、ロシアや南欧の移民も抱えていた。徴兵の方針次第では、国家分裂のリスクがあった
    • ウィルソン大統領は、崇高な戦争の大義に従い移民たちの国民形成が進むことを願い、徴兵は強制ではなく草の根主義とされた。最終的には移民兵は役41万人となり、その8割は東欧・南欧の出身であった。
    • 民兵は軍隊で近代的規律や公衆衛生、アメリカの共通文化を学び、訓練基地には兵士向けの英語教育プログラムが供えられた
  • アメリカ民主主義の普遍性への確信
    • ウィルソン大統領がアメリカの国民統合、移民国家の紐帯である啓蒙不変の理念を、世界中の人々が受容すべき恒久平和の条件と位置付けた
  • すすむアメリカ国内の国民統合
    • 新移民や自らの「白人性」が自明ではなかったヨーロッパ系エスニック集団が、第一次世界大戦で「戦うこと」を通じてアメリカ社会に組み込まれていった
    • 人口の1割を占めた黒人やアジア系の人々は「坩堝」への参加は認められていないことに留意
  • 第一次世界大戦は「民族解放のための戦争」だったのか?
    • パリ講和会議にて、日本政府が国連の規約の中に人種差別撤廃条項を明文化することを提案→イギリス、オーストラリア、アメリカの反対により断念*5
    • 日本政府の人種差別撤廃条項の提案は建前か?:日本政府はアメリカ国内で「帰化不能外国人」扱いを受けながらも、名誉白人として認められたいスタンスを維持した。実際に、ウィルソンの民族自決論に刺激を受けた朝鮮半島の三・一独立運動を日本は武力制圧している。
  • あくまで「帰化不能外国人」である日本人
    • 終戦までに帰化した移民は15.5万人。ただし、日本移民兵は、1870年帰化法の「白人、あるいは、アフリカ出身者およびその子孫」の定義に外れるとして、いったん米国籍を取得したもののそれを剥奪されることとなる。
    • これを日系一世が連邦最高裁に上訴:独立戦争を戦い、憲法を制定したヨーロッパ出身の白人とその子孫」が白人であり、人種的にもコーカソイドに限るという見解
(7)1924年民法ーいわゆる「排日移民法
  • 日本では「排日移民法」と呼ばれ、駐米大使の外交失策が原因と語られるこの移民法改正だが、実際は東欧・南欧の移民制限など、アジア系移民の排除以外の柱もあった。
(8)第二次世界大戦と日系アメリカ人
  • 真珠湾攻撃(1941)から48時間以内に、在米一世の有力者を中心とした924名が逮捕され、収容所に入れられた。財務省は在米日本人の銀行口座を凍結した。
  • 日系人強制立ち退き(1942)
    • ワシントン州オレゴン州カリフォルニア州に住む日系人約11万人の強制立ち退き。内陸部の僻地に作られた強制収容所に送られた。うち7割は、米国市民権をもつ日系2世であった。
    • その40年後に、連邦議会が「軍事的必要性に正当化できるものではない。人種差別であり、戦時ヒステリーであり、政治指導者の失敗であった」と結論している。
  • 忠誠登録(1943)
    • 戦況により、日本軍によるアメリカ本土襲撃の可能性が低くなると、強制収容所から忠誠度の高い日系人を開放することが検討され始める。最も忠誠心の高い集団は米軍の移民兵として従軍することとなった。
    • 彼らは祖国(アメリカ)のために死ぬ決意をして戦いながらも、残る家族は強制収容所に入れられているという、皮肉な立場にあった兵士たちであった。
    • ハワイ出身の第一〇〇歩兵大隊と四四二部隊、通訳などの特殊情報部隊ー激しい戦地で活躍し、在米日本人の地位の引き上げに少なからず影響した*6

*1:この時の各国移民により運営される砂糖プランテーションの様子は、オアフ島にある「ハワイ・プランテーション・ビレッジ」で再現されている。

*2:1891~1900年までに出稼ぎの男性労働者中心に27000名、1900~1907年に52000名、ハワイからも1907年までに38000人

*3:鉄道建設や鉱山、農業、果樹園、漁業、缶詰工場、家事使用人など

*4:日露戦争の勝利は、世界各地で白人に対する「有色人種の勝利」と捉えられた

*5:昭和天皇はこの提案の失敗を「大東亜戦争の遠因」と語っている(昭和天皇独白録)

*6:この戦争の英雄ダニエル・イノウエトルーマン大統領による帰還祝賀会に出席した帰りに、床屋で「日本人の髪は切らないよ」と言われている。

アメリカの移民の歴史について、学んだことを羅列する①

この多様な国の成り立ちを理解したい

アメリカに暮らしていて、一番インパクトが大きかったのは、人種が多様なことでした。自然と移民政策に興味を持ち、これまでの経緯を知りたくなったため、本を1冊読みました。

www.iwanami.co.jp

アジア系移民の動きと、アジア系をとりまく移民政策の動きを整理した本です。
アメリカの多様性との葛藤、中国人排斥運動(そして黒人奴隷問題との関連)と、アメリカの歴史の大事な論点に触れることのできる良書でした。

<目次>

★第1章と第2章に書いてあったこと

  • 第1章では
    • 「移民の国」として全世界から広く国民を受け入れているイメージがあるアメリカも、移民政策を紐解いていくと、移民を序列化し、特定の人種を排除してきた歴史があること
    • 「移民の国」のイメージも、多様な国民を統合するために、連邦政府が意識的に作り出してきた経緯があること
  • 第2章では
    • 南北戦争の徴兵もなく、黒人奴隷もいなかったカリフォルニアは「アジア人が多い」という独自の特徴があったこと
    • 中国人排斥運動はカリフォルニアの地域問題に終わらず、それが政治的運動にまで発展し、中国人の帰化を認めない「排華移民法(1882)」の制定につながり、皮肉にもこれが移民システムの基礎を創設する役割を担ったこと
    • 南北戦争後に、黒人奴隷に代わる安価な労働力へのニーズがあり、アジア人がそれに代替する形で活用されつつも、やがて排斥されていったこと
  • …等が記載されています。これらは筆者の独自分析ではなく、国民統合への努力や中国人排斥の歴史については、アメリカ歴史博物館のMany Voices,One NationAmerican Democracyの展示にも、一部内容が含まれています。

アメリカ歴史博物館内の中国系アメリカ人移民に関する展示

★興味深かったこと

  • 自由の女神は除幕式が1866年にもかかわらず、移民歓迎のシンボルとして定着したのは1930年代以降のこと。移民抑制政策をとって移民排斥運動が沈静したことにより、自由の女神を移民歓迎のシンボルとして掲げることが可能になった。(第1章)
  • 19世紀前半では、国民の出入りを管理する出入国管理の仕組みがなかった。特にアメリカでは、長い間出入国管理が州政府の仕事であり、連邦政府の管理となったのは1882年(排華移民法により中国人の帰化を禁止する政策がとられた時)。パスポートの仕組みが整ったのは第一次世界大戦後。(第1章)

★以下、学んだこと詳細

序章「移民国家アメリカの二つの顔」

(1)移民こそがアメリカ史そのもの
  • 世界最大の移民受け入れ国であり、約200年で7,536万人の移民を受け入れてきた(移民統計開始の1820年~2009年)。
  • 「移民が主役の国」「抑圧されし者の避難所」という自画像を持つ。「アメリカとは何か?」という問いの答えのひとつが「移民の国」という国家像。
  • 20世紀転換期に東欧・南欧から「新移民」が大量流入するのをピークに、1920年代からは移民制限に舵をきっている
  • 第二次世界大戦後には再び移民は増え、現在は「新移民」期の移民数を超えている*1
(2)移民国家の社会統合に関する神話

「ではアメリカ人、この新しい人間は何者でしょうか」ヨーロッパ人でもなければ、ヨーロッパ人の子孫でもありません。したがって、他のどの国にも見られない不思議な混血です。(中略)偏見も生活様式も、昔のものはすべて放棄し、新しいものは、自分の受け入れてきた新しい生活様式、自分の従う新しい政府、自分の持っている新しい地位などから受け取ってゆく、そういう人がアメリカ人なのです。」

アメリカ人農夫の手紙」ヘクター・クレヴクール(1735~1813)

  • クレヴクール神話
    • ヨーロッパの封建的な体制や伝統から解放された新しい自由の地で、すべての人々が一つに溶け合う移民たちの社会的坩堝
    • 全ての人たちがアメリカ化していくという楽観的な社会統合
(3)移民同士の序列化と排斥…アジア移民史に着目
  • アメリカ社会は常に万人に開かれているように見えるが、実際はヨーロッパからの移民に限定されており、黒人や先住民は想定外とみなされてきた経緯がある。アジア系もまた、黒人に近い立ち位置にいた。
  • 移民を排除し、移民集団を序列化し、人種化してきた排斥のプロセスについては、これまであまり描かれてこなかった。トランプ政権の移民制限は、移民国家アメリカでは異例の事態と描写されるが、ことアジア系移民に焦点を当てると、トランプ大統領による移民制限も、何ら新しいものではない
  • 19世紀後半の「中国人問題」を通して、アメリカは初めて国家として移民行政の仕組みを整え、「帰化不能外国人(アメリカ人になれない外国人)」を定義したことを踏まえると、アジア系移民は少数ではあるが、南北戦争後の国民統合の過程で決定的な役割を果たしてきた。その後1882年に制定される排華移民法は、特定国籍を排除した最初の移民制限措置であり、アメリカの移民政策上の大きな転換点である。

第1章 アメリカはいつ「移民国家」となったのか?

(1)移民国家アメリカで「創造された」伝統
  • アメリカを表現する「坩堝」「サラダボウル」「自由の女神」「ピルグリム・ファーザーズ」等の伝統は特定の起源をもつわけではなく無数の声の寄せ集めでできている
    • 移民たち自身が母国にいる家族に対してアメリカを「自由の地」「約束の地」と語ったこと、政治家がアメリカとヨーロッパを対比して語った国家的理念など様々な声の寄せ集めがもととなっている。
  • 独立宣言に影響を与えたトマス・ペインの「コモン・センス」では「亡命者を受け止めよ、そして、いつしか、人類の避難所(an asylum for mankind)となる準備をせよ」と記載されていることも、これら伝統の形成に影響している。
  • 「伝統の創造」
    • これらの国家的伝統が国民統合のために創られてきたものであり、古い歴史を持ち「伝統的」に見えるものの多くも、国民形成過程の政治的な目的で近年になって「捏造」されたものであという考え方(イギリスの歴史家:エリック・ホブズウム、テレンス・レンジャー)。
(2)神話①ピルグリム・ファーザーズ
  • 17世紀初頭のイギリスでの宗教弾圧から逃れ、信仰の自由を求めた宗教的な一団がイギリスのプリマスを出発し、1602年にニューイングランドに到着。その地をプリマス植民地と名付けた
  • 入植の際に取り交わしたメイフラワー・コンパクト(盟約)がアメリカ合衆国憲法の基礎になる
  • 厳しい寒さにより1年目に半数が餓死したが、2年目には豊作に恵まれ、その援助をした先住民に感謝の機会を持とうとしたことが、今日の感謝祭の起源となっている。
  • 高邁な理想にもとづく旅立ち、自己犠牲、苦難と忍耐、家族での渡航・定着など、これから渡米する誰しもがピルグリム・ファーザーズと同じ出来事を追体験するであろう、「移民の模範」としての大きな意味を持った。
(3)ピルグリム・ファーザーズ神話の現実
  • そもそも初めての入植地はプリマスでなく、ヴァージニア州のジェームスタウンである。ロンドン商人によるヴァージニア会社が、タバコ栽培をしていた。ヴァージニアとメリーランド植民地は、たばこの一大生産地になってゆく。
  • 労働力確保のため、白人移民を歓迎した。入植者の2/3が労働者であったが、厳しい環境により1年以内に半分が死亡した
  • 黒人は初めから奴隷だったわけではない。ヴァージニアにて植民地会議が行われたとき(1619)、オランダから初めて20人の黒人移民を譲り受けた。最初は黒人労働者も、白人労働者とともに契約労働をしていたが、白人労働者が厳しい環境に不満を蓄積させ、暴動を起こすようになった。この結果、17世紀末には、労働者としては積極的に黒人が雇われるようになっていた。
  • 感謝祭は、建国後しばらく忘れられていたものをリンカーン大統領が復活させたもの南北戦争では家族が分断されて闘うこともあったため、家族統合・国家統合のメタファーとして、国民的祝祭として取り入れられた。
(4)神話② 自由の女神とエマ・ラザラス「新しい巨像」
  • エマ・ラザラスの詩「疲れた人々、貧しい人々を…私のもとに送りなさい」というフレーズは、アメリカ人なら誰でも知っている。自由の女神の建立にあたり、台座の資金への寄付を募る際、競売商品として出品された詩である。
  • 詩が有名なので、自由の女神を移民歓迎のシンボルと捉える人が多いが、実際は女神除幕式(1866)には歌は彫られておらず、その30年後に彫られたものである。
  • 自由の女神が移民歓迎のシンボルとして定着し始めるのは1930年代のこと。これは1924年民法に係る一連の移民制限立法により「大量移民の時代」が終わりを告げた*2時期である。逆説的ではあるが、移民制限により国内の移民排斥運動が沈静化したことにより、移民歓迎のシンボルとして語られることが可能となった
(5)神話③ 坩堝
  • 多からなる一(One out of many)
    • アメリカの国璽に刻まれ、紙幣にも記載されている「E Pluribus Unum」という文言の訳。もとは13植民地がひとつであることを示していたが、現在はアメリカ社会が1つであることの比喩として使われる。
  • 国民統合の表現としての「坩堝」は、20世紀初頭、ユダヤ系作家イズラエル・ザングウィルの戯曲「るつぼ(Melting Pot)」が発表されて以降定着した。
  • 「ヨーロッパのあらゆる人種が溶け合い、再形成される偉大な坩堝。ドイツ人もフランス人も、アイルランド人もイギリス人も、ユダヤ人もロシア人も、すべて坩堝のなかに溶け込んでしまう。神がアメリカを造っているのだ。」

  • このとき南北戦争後の白人間の和解が進んでおり、これが「坩堝」論の需要を後押しした。
(6)国民統合(アメリカ化運動)
  • 19世紀後半に西部開拓が終了(フロンティアの消滅/1890)したが、このとき東欧・南欧(イタリア、オーストリアハンガリー、ロシアなど)の移民が大量に流入し、これらの言語や生活習慣、宗教が異なる移民は新移民」として区別された。
  • 連邦政府、公立学校、YMCAなどの市民団体、フォードのような大企業が連携して、市民権獲得をめざさない「新移民」向けの国民統合施策を行った。柱となったのは、英語教育などアメリカへの忠誠心を涵養する施策であった。
  • エマ・ラザラスの歌もこの運動の一環で普及。1940年には観光地としてもブームを迎える。第二次世界大戦後にリンドン=ジョンソン大統領が移民の国別割り当て制限を撤廃した際にも、「その最も素晴らしい伝統に立ち返る」と宣言し、女神像の前で法案に署名した。
(7)理念の国アメリカ?
  • 近代に成立した国家は、特定の民族の血縁的連続性に基づいて「伝統」を創造し、ナショナリズムを立ち上げた国家が多いが、アメリカはこれにあたらない。
  • イギリス領植民地の国でありながらイギリス出身は建国当時の白人の6割に過ぎず、土台となるべき民族的単位がなかった。
  • 世界的にも珍しい、移動・移住により作り出された「移民国家」であり、民族性は不問とされ、国民が共有可能な理念(独立宣言や憲法に謳われた共和主義や自由が国民統合の核とされた。
  • 一方で、こうした理念で国民を統合しつつも、黒人奴隷制を抱えて出発し、その後も他の「民族国家」と同様に、民族や人種、宗教、政治信条などを根拠に移民集団を排除する構造を持っていた。
  • 世界的にも近代は、人の移動がグローバル化し、自由移動と奴隷的移動が混在→自由移動中心に移行していった時代である。アメリカもこの潮流の中で、奴隷国家」から自由意志移民による「移民国家」に変化していった。
(8)国家国民の境界を整える
  • 19世紀は移動の世紀
    • 人の移動がグローバル化した後もしばらく、国家は人の移動を管理統制することができず、「国民」の定義と囲い込みに時間と労力を要したことがわかっている。
    • 入国管理制度も段階的に整えられた。19世紀中ごろにも、アメリカの移民受け入れ港には移民管理行政官がいなかった。
    • 特にアメリカでは州が独自で帰化法設定権限を持っており、出入国管理を行っていた。アメリカで出入国管理が連邦政府マターになるのは、「中国人問題」を契機にして、1882年以降のことである。
    • パスポートが世界的に普及するのは、第一次世界大戦後のこと。移動手段が国家管理されるようになったことを踏まえ、国際的な国家システムが誕生したと言える。
    • この、人の移動が国家管理されるようになた19世紀において、アメリカの移民行政は「避難所」という自画像を持ちながらも移民管理を強め、特定の人種を帰化不能と設定するなど「門衛国家」としての性格を強化していった。
(9)帰化アメリカの「国民形成」
  • 帰化は自由白人を法の擬制により「国民」へと転換させるものであり、アメリカの国民国家形成の根幹をなす法制度。建国時は、帰化の要件は「自由白人」とされ、これによりアメリカはWASP文化を規範とする社会となった。
  • 1882年の排華法の第14条で「中国人の帰化を禁ずる」と定められ、帰化不能外国人が生じたことは、自由移民の原則が破られた点で、重要な意味を持っている。
  • 黒人と奴隷
    • アメリカが黒人という「人種」を基礎とする奴隷制を生み出した点は、世界史的に意義が大きい。
    • アメリカにおいては奴隷が南部の経済に不可欠であり、その無償労働力を再生産するために、異人種間の婚姻を固く禁じた。
    • 制定時憲法の第1条第2項(3)に「人口は、自由人の総数に、すべての他の人の5分の3を加えて算出する。ただし、自由人は一定期間服役している人を含むが、課税されていないインディアンを除く」とあるが、この「5分の3」は黒人奴隷を指している。(後に修正14条第2節により修正され、「人口は、課税されていないインディアンを除いてその州のすべての人の総数を数える」となる。
  • 「自由白人」の定義の当落線上での対立
    • エスニック白人(アイルランド、イタリア、ユダヤなど)は19世紀のアメリカ社会では差別される側にあり、ヨーロッパ系移民でありながら「白人であること」が自明ではなかった
    • 逆に中国人や日本人の中には「自由白人」の要件をクリアして帰化を認められたものが1910年までに1788名いた。「白人」概念は、少なくても世紀転換期までは境界にあったため、エスニック白人とアジア人はその参入をめぐりしばしば対立した

第2章 中国人移民と南北戦争・再建期

(1)近代世界システム ―ヒト・モノ・カネのグローバル化
  • 15-16世紀の大航海時代で移動が本格化。その後、航路と領事館が開設され、外交関係が生まれる。
  • 推定1200万人の奴隷が植民地へと輸出され、砂糖・綿花・コーヒー・タバコなどの世界商品が莫大な富をもたらし、資本が蓄積された。
(2)華人ディアスポラ
  • 現在、推定3500万人の華僑が世界各地に分散している。これらはアヘン戦争(1840)~19世紀末までの時期を流出の契機としており、これが東アジア世界が近代世界システムに包摂される時期と重なっている。
  • ちょうど19世紀前半、各国が黒人奴隷を漸次廃止していたので、アジアからの労働者は黒人奴隷に代替するものと期待された(奴隷制廃止に伴う国際労働市場の再編)。
(3)苦力(クーリー)
  • 黒人奴隷に代わる、隷属的な中国人労働者。
  • 清朝政府では海外渡航が全面禁止で、海外流出者は「逃犯」「棄民」と蔑視された。
(4)中国人移民とサンフランシスコの都市形成
  • サンフランシスコ
    • 併合時は800人の港町→1848年に金鉱発見。金鉱採掘者の滞留地として1850年には25,000人、1852年には36,000人に人口急増。1870年には全米TOP10の大都市に。
    • 奴隷制を認めない「自由州」として連邦に加入
    • カリフォルニア州は首都ワシントンD.C.から遠く離れていたため、南北戦争の徴兵対象にもならず、蚊帳の外に置かれていた。
  • 中国人のカリフォルニア流入 
    • 第1波:ゴールドラッシュを契機とするもの(1848-54)
    • 第2波:セントラル・パシフィック鉄道の建設(1869完成)
      • 命の危険を伴う建設現場に中国人労働者を積極的に導入。
    • 1860年代は中国人は鉱山地区に集中*3していたが、1870年代以降、鉄道建設の修了と共に、サンフランシスコへ集住傾向が強まる。
    • サンフランシスコでは、その後もずっと中国系の人口が1割を下回らない
(5) 排華運動
  • 金採掘:外国人鉱夫への特別課税(1850)
  • 政治文化:「自由白人」の線引きに厳格にこだわるネイティヴィズム
  • 一方で、連邦政府は産業労働力の創出のため、清朝政府と中国人の受け入れを奨励(1868)。同じ理由で、鉄道や貿易の関係者も受け入れを奨励。
  • 製造:アイルランド系移民と雇用の競合関係となり、対立
  • 売春:サンフランシスコは男性単身労働者が多く、売春が社会問題化
(6)排華暴動 
  • 州知事選で、中国人の流入規制を主張する民主党候補が圧勝。
  • 州議会選挙でも民主党が多数派。
  • 数百人の白人労働者が建設工事現場の中国人労働者を襲撃、工場を破壊。事件の首謀者は逮捕されるが、労働組合幹部による「反クーリー・クラブ」が市議会に圧力をかけ、犯人は恩赦扱いで釈放。
  • 差別的条例の数々:天秤棒の禁止(商売の規制)、弁髪条例(断髪の義務付け)
(7)政治問題化する排華運動
  • 1877年暴動→カリフォルニア勤労者党(WPC)の設立。サンフランシスコ市長選で勝利し、公共事業での中国人労働者の雇用禁止を認めさせた。
  • 州民投票「中国人移民流入の是非」反対 95.8%
  • カリフォルニア州選出のジョン・ミラー上院議員が中国人移民規制法案を連邦議会に提出。「排華移民法」が成立(1822)。
(8)「アメリカ人」の境界:アメリカ社会秩序の混乱
  • 19世紀中葉:奴隷国家から移民国家への衣替え
    • 南北戦争前の自由人/奴隷の身分境界がゆらぎ「白人性」という人種意識が意味を持つ。
    • 大量の移民:アイルランドのじゃがいも飢饉(1845-49)で大量の移民が渡米
(9)連邦市民権の付与
  • 南北戦争後、連邦権限が強化され、本格的な国家建設政治がスタート。
  • 1868年:解放された黒人だけでなく、中国系など他のマイノリティにも市民権を拡大する方向で、憲法を修正(第13条、第14条第2項。悪名高い3/5条項の消滅)。
  • 州に侵害されることのない連邦市民権という概念が生まれる。マイノリティが差別立法に闘う大きな武器に。
(10)南北戦争後の再建政治の挫折(1877)
  • 合衆国憲法第15条「人種や肌の色、過去の隷属の状況により投票権を剥奪してはならない」→「投票の質の維持」のため、識字テストや納税額などで投票権の有無を決める
  • プレッシャー対ファーガソン事件対決
    • 南部の黒人と白人の分離に対し、連邦最高裁「分離すれども平等」であれば問題ないとする。
  • 人種隔離体制の確立:南部全域で、黒人から投票権を剥奪する動き(1890年代)
(11)「国民」の境界線上での差別内差別
  • 北部では底辺層の移民だったアイルランド人が、自らの地位をかけて黒人と中国人を差別
  • 南北戦争下の徴兵反対運動@ニューヨーク(1863)
    • 黒人解放のために戦うことを拒否した白人下層労働者が黒人に暴行
(12)帰化不能外国人
  • 1882年の排華移民法の設定により、中国人は帰化不能外国人となり、社会の底辺になった。
  • 不況下で労資対立が激しくなるなか、対立を懐柔して新たな社会秩序を維持するため、黒人にかわる「他者」の創出が急務となり、中国人が初めにその対象となった。
  • 中国人移民の無期限受け入れ停止(1904)
  • 黄金徳裁判(1898):在米2世の市民権獲得を認めさせる
  • 清朝政府は、移民問題に目をつぶる代わりに、列強諸国との間をとりもつことをアメリカに期待した
(13)「アメリカ人」形成の第三ラウンド
  • 排華運動の時期は、同時に、東欧・南欧から「新移民」が大量に流入した時代でもある。
  • 米西戦争(1890)後のアメリカ帝国的秩序
    • アジアでの領土獲得:フィリピン、ハワイ
    • 中国本国市場4億人:南部の商品(綿花など)の輸出先として魅力的
      • アメリカ各業界が圧力団体を形成して極東政策に関与
    • 国内宣教師グループ:中国を迷信・貧困・無知から解放する使命感
    • セオドア・ローズヴェルト「白人の責務」
    • 垂直的な人種的秩序を暗黙の前提としつつ、海外の異分子を包摂する帝国的な国民統合のビジョンが誕生
  • 駐米中国大使 伍廷芳:「中国市場を確保したいのであれば、アメリカの中国人の待遇を改善し、特に新領土での法改正を行うことが重要」

*1:1920年代には820万人/年、2000年代には1000万人/年

*2:100万人/年→15万人/年

*3:鉱山地区86%、市内7.8%

アメリカのワーママとゆっくり話す機会に恵まれた

アメリカのワーママは、日本とどう違うのか

アメリカに移り、もう2年ほど専業主婦をしています。
もはや社会人として通用するのか自信がありませんし、ずっと働いている皆さんには笑われるかもしれませんが、本帰国したら、同じ職場で復職してまた働きたいのです。
そのため、ワーママ的トピックは、常に自分事として興味を持っています。

<目次>

  • 1.娘の友達のママさんが、アメリカのワーキングマザーでした
  • 2.アメリカだって、仕事と子育ての両立はつらい
    • 夏休みが長い。夏休みの学童を探すの大変、費用が高額
    • 車の送迎が大変(子供が自分の足で行動できない)
    • 学童の枠が空いていない
    • 場合によっては、保育の品質が低い
  • 3.アメリカのワーママに「なぜ産休が短いの?」と聞いてみた
  • 4.日本で仕事子育ての両立がつらい理由(アメリカとの比較)
    • 日本ではみんながめちゃくちゃ働く(残業する)
    • 料理に時間がかかる
    • それでもやっぱり、子育ての負担がママに寄っている
  • 5.子育て政策は、文化と環境整備の融合問題
続きを読む

ネイティブの英語表現に毎回感心してしまう

日本人の私には思いつかない英語表現

ネイティブの方と話したり、テキスト交換する中で、いくつか英語表現を覚えました。

毎回「ほぉ~、こういう使い方をするのか!」と感心しているので、ここに備忘録を残していこうと思います。


テキスト交換で出てきて印象に残ったものを、ネットで意味を調べたものなので、間違っていたらすみません。

なお、私はアメリカでは主婦なので、そもそもフォーマルな場面に出る機会がなく・・・。全てカジュアルイングリッシュ、という理解です。

<目次>

1.汎用性のある便利な表現、単語

英語力はさっぱり上がりませんが、こういった便利表現を真似して何とか生き延びています。

  • I was like "-----"【"----"って感じだった】
    • 過去の話を紹介する系、だいたいこの表現を使いまわせる。

  • beautiful【素晴らしい、美しい。誉め言葉全般】
    • 「日本から来ました」と言ったら「Beautiful!」と言われた

    • お礼の手紙を丁寧に書いたら「Everything you do is beautiful.」と言われた

    • 子供たちを見て「Beautiful family!」と言ってもらった
    • 誉め言葉、特に姿勢やアイデンティティめいたものを褒めるときに便利
    • 【関連】基本的に、誉め言葉の語彙が豊富。
      • Amazing:毎日聞くレベルで多用されている。自分の子供にもいうし、他人の子供にもいうし、おいしかったレストランにもいうし、かわいいジャケットを褒めるときにも使う。
      • Fabulous:写真が得意なママさんが学校のイベント写真を毎回寄贈していて、先生が大喜びで"She is fabulous!!"とよく言っていました。叶姉妹以外でこの単語を使う人を始めて聞きましたが、普通に出てきました。
      • Fantastic:「私、英語結構間違ってるかもしれないから、伝わってないときあったら教えてね」と言ったら「Your English is fantastic!」とフォローいただいた。強調して強めにほめてくださったと理解。
  • work【都合がよい。日程調整のやりとりで便利 】
    • Is Jan 26th works for you?(1月26日は都合よいですか?)

  • Same here!【同じく!】
    • 同意を表す表現。Me tooとほぼ同じ。

  • There is 【~がある(存在を示す)】
    • 英語の先生から「日本語で『~がある』と訳せるものは、ほぼThere isで表現できるから便利だよ!」と言われたが、なるほど確かにめちゃくちゃ会話に出てくる。

    • There is a new restaurant in the mall.(商店街に新しいレストランがあります)

    • 日本で英語を勉強した時は、あまり便利さを感じなかったThere is 構文。「使わなくてもよくない?」って気がしていて、受験の英作文では常に回避していました。その「There isの謎」について解説してくれている動画を発見しました。
    • youtu.be

  • Out of town【用事がある(角が立たない断り英語)】
    • 例:We will be out of town next weekend.

    • 直訳すると「町の外まで遠出します」的な感じだけど、実際は「用事がある」的なニュアンスで、詳細を明示せずに誘いを断るときに使用されている。(必ずしも言葉通り遠出しているわけではない)

    • 気分の乗らないパーティはみんなこうやって断っている印象。アメリカでは普通だとわかるのですが、自分がコレ言われたらちょっと寂しいので、私は使ったことありません。

2.ネイティブが使っていて印象に残ったもの

  • hang out【誰かと過ごす、遊ぶ】
    • 例: Let's hang out on Sunday! (日曜に遊ぼうよ!)

    • playは少しチャラい意味になるから使わないと聞いたことがあるけど、確かに本当に使わない。

  • have 人 over【人を家に招待する】
    • 例:I love to have you over.(ぜひ我が家にお越しください)

  • more than welcome【大歓迎です】
    • 例:He is more than welcome!(彼なら大歓迎です)

    • 類例:You are welcome to【いつでも~~してください】
      • You are welcome to our house(いつでも我が家にお越しください)
  • Thank you for having us.【お招きいただきありがとうございます】
    • 友人親子を自宅に招いたら、お礼メールでこう言われた

    • イベントに招かれた歌手が、挨拶でこう言ってた

    • 複数人を招いた会をオーガナイズした人は、Thank you for hosting today!って言われていた。
  • You guys【あなたたち】
    • 例:Thank you guys!(みんなありがとう)

    • 文法的には「あなた達」は「you」なんだけど、文脈的に単数形you と区別がつかない場合は、guysがついてくる

    • 女性相手にも使う。カジュアル表現のため、親しい人にしか使わないと書かれているものもネットで見たけれど、割と言われる印象。

    • 類例:Dude(アンタ、的なニュアンス)

      • ドラマでは男子高校生同士の会話とかで頻出していた。女性でも、家族内で「アンタさ~」的なノリで使うらしい。カジュアルすぎるので私は使わない。

    • 類例:you all(あなたたち)

      • みんなyou guysって使ってるし、問題はないとわかっていつつも…なんとなく、私はyou all を使うようにしています。

  • We are thrilled to XX【XXが楽しみでワクワクしている】
    • 学校などから、ワクワクする新情報が提供されるとき、だいたいthilledが使われています。

    • 例:We are thrilled to announce the launch of our new product sales.(

      当社は、新製品の販売開始を発表することを、とても嬉しく思っています。)

  • Thank you for including us!【混ぜてくれてありがとう!(誘われた時のお礼)】
    • パーティに呼ばれた時、ネイティブの方がこういうコメントをしているのを見ます。