アメリカでの主婦生活を淡々と記録するブログ

アメリカ生活の備忘録。育児の思い出記録が中心です。慣れない環境で頑張って生活していますが、喉元過ぎれば自分でも「何を頑張ってきたか」忘れてしまうので、アメリカで頑張って来たことや悩み事、楽しかった思い出の備忘録として書いています。

National Gallery of Artの西館で見た作品を淡々と記録する②19世紀フランス

<目次>

★19世紀フランス・ルノワール(Auguste Renoir)

デッサンなども含めると、ルノワール83作品所蔵されているようです。
時代により作風が大きく変わることに驚きましたので、ルノワールの生涯をまとめます。

ルノワールの生涯
  • 1841年:貧しい仕立て屋の息子として生まれる。
  • 1861年:画家を志し、画塾に入る。ここでモネらと知り合う。
  • 1863年~1870年:サロンに初入選。その後、何度か入選する。
  • 1870年普仏戦争に従軍。第三共和制下でスパイと間違えられて逮捕される。
  • 1873年~1875年:モネのアルジャントゥイユのアトリエに通い、筆触分割という、自然の一瞬の美しさを捉える手法を生み出す。サロンは保守傾向にあり、ルノワールらは落選が続いたため、独自のグループ展を開催する意欲が高まる。
  • 1874年第1回印象派印象派という言葉が広まるが、展覧会自体は世間から酷評される。その後モネ、マネ、シスレーなどとアルジャントゥイユのアトリエで共同制作を行う。
  • 1875年~1877年:第2回、第3回印象派
  • 1878年:サロンに復帰する。
  • 1880年代初頭:イタリア・アルジェリア旅行。ラファエロ作品を見て感激し、ワーグナー肖像画を描き、ポール・セザンヌを訪れ共に制作をする。
  • 1882年:第7回印象派展。少しずつ作品に輪郭が戻り、古典主義に回帰し始める。
  • 1890年~:画家としての評価が安定する。
  • 1990年:南仏に移り住む。
  • 1914年:長男ピエール、次男ジャンが戦争で負傷。妻アリーヌが糖尿病で死亡。
  • 1919年:肺充血で亡くなる。
Odalisque (1870) / Auguste Renoir

オスマン帝国の女奴隷オダリスクを描いた作品。

(これから見たい。まだ見れていません)

 

The Dancer (1874)  / Auguste Renoir

第1回印象派展に出品された作品のひとつ。

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A Girl with a Watering Can (1876) / Auguste Renoir

印象派展初期の作品が続きます。

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Madame Henriot (1876) / Auguste Renoir

美しい夫人の肖像画

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Young Woman Braiding Her Hair (1876) / Auguste Renoir

こちらも女性を題材にしたルノワールの有名作

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Girl with a Hoop (1885) / Auguste Renoir

教科書で見た気がする作品。こちらは印象派展後期(第6回頃)の作品でした。確かに、色彩は変わらず豊かであるものの、他の作品と比べると輪郭線がもどってきているようにも見えます。

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★19世紀フランス・モネ(Claude Monet)

モネも作品数が多く、29作品所蔵されているようです。

モネの生涯
  • 1840年:パリで生まれる(父親の職業などは不明。)
  • 1859年~:画塾時代。1861年には徴兵されアルジェリア出兵に参加し、1862年には画塾でルノワールと知り合う。
  • 1865年~:サロンへの挑戦。
  • 1867年:第一子ジャン誕生。妻カミーユとの仲は父に認められておらず、仕送りが止まり、経済的に苦しい期間。
  • 1870年:妻カミーユと正式に結婚。普仏戦争の徴兵を避けるためロンドンに渡る。(なお、画家仲間のバジールは従軍して戦死)。
  • 1871年1878年:アルジャントゥイユにアトリエを構える。マネ、ルノワールシスレーとの交流。この頃ジャポネズムが台頭していた(1854年に日本が開国)
  • 1874年:第1回印象派展。
  • 1878年:経済的苦境から、ヴェトゥイユへ拠点を移す。次男ミシェルを誕生後、妻カミーユの体調が悪くなる。このとき、長らくパトロンであったオシュデ氏が失踪したため、オシュデ夫人と6人の連れ子との共同生活が始まる。
  • 1879年:妻カミーユが亡くなる。
  • 1880年:10年ぶりにサロンに出品する。当時の印象派画家内で、サロンに出品するか否かということは、意見が分かれていた。
  • 1881年:ポワシーにアトリエを移す。各地へ制作旅行に出かけ、ポール・セザンヌとも会う。
  • 1890年代:「積みわら」(1890)など、連作が中心になる。この頃には作品は高額で売れるようになり、裕福な大家としての地位を確立している。
    • ポプラ並木(1891)
    • ルーアン大聖堂(1892)
    • ノルウェーで描かれた山の風景画(1895)
    • セーヌ川の朝(1898)
    • 睡蓮第一連作(1889~)
    • 「国会議事堂」などロンドン作品(1899~1901)
    • 睡蓮第二連作(1901~)
  • 1909年~:視力の低下に絶望し、作品が残っていない(妻オシュデ、息子ジャンが相次いで亡くなる)
  • 1926年:肺硬化症で亡くなる。
Woman with a Parasol - Madame Monet and Her Son, (1875) / Claude Monet

モネが34歳の時に、妻子を描いた作品。最初の妻カミーユと5歳の息子を描いたもので、妻カミーユはこの4年後に病死されたそうです。妻子を描いた作品は3枚ある妻子作品のうち、1枚目で、このあと2作品続きますが、2枚目以降は娘(後妻の娘)を被写体にして、最初の妻カミーユを想いながら描いたのだそうです。第2回印象派展へ出品された作品。

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Jerusalem Artichoke Flowers (1880) / Claude Monet

いつも通るたびに足を止めてしまう作品

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The Willows (1880)/ Claude Monet

静かな緑の作品

Woman Seated under the Willows (1880) / Claude Monet

同じく、静かな緑の作品

 

Banks of the Seine,Vetheuil (1880) / Claude Monet

セーヌ川の風景を描いたモネの作品。モネは経済的理由で、妻カミーユと子供たちと共にパリを離れヴェトゥイユに移り住んでいるので、ヴェトゥイユの風景ががいくつかあります。

The Artist's Garden at Vétheuil(ヴェトゥイユの画家の庭)(1881)/ Claude Monet

妻カミーユを失った悲しみからの再起を象徴する作品。こちらの作品はサイズも大きく、引き込まれるような美しさでした。
モネは一番のパトロンであったオシュデが事業に失敗して失踪した後、経済的に苦しくなり、家族とオシュデ夫人とその連れ子と共に、ヴェトゥイユで共同生活を始めます。
しかしカミーユは産後の肥立ちが悪く、32歳で病死してしまいます。オシュデ夫人の支えもあり、その2年後にようやく再起が見え始めた頃に書かれた1枚。

手前に立つ子供は、モネの次男ミシェル。そして奥に立つのはオシュデ夫人の連れ子・・・。以前からオシュデ夫人とモネには不倫の噂があったものの、最後にはモネとオシュデ夫人は結婚し、モネの二番目の妻になるんだそうです。

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Rouen Cathedral, West Facade (1894) / Claude Monet

晩年の連作「ルーアン大聖堂」の一部。

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Rouen Cathedral, West Facade,Sunlight (1894) / Claude Monet

同じく「ルーアン大聖堂」連作の一部。
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The Japanese Footbridge (1899) / Claude Monet

モネと言えば!の睡蓮第一連作の一部。

Palazzo da Mula, Venice (1908) / Claude Monet

晩年、ヴェニスを描いた連作の一部。

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★19世紀フランス・セザンヌ(Paul Cezanne)

The Artist’s Father, Reading"L'Evenement" (レヴェヌマン紙を読むルイ=オーギュスト・セザンヌ(画家の父))/ Paul Cezanne

19世紀の画家ポール・セザンヌの父が、セザンヌの絵の前に座り、難しい表情で芸術評論雑誌を読む姿を描いた作品。
セザンヌの父は大銀行家で、売れない画家になった息子に失望していたそうです。レヴェヌマン紙は、当時エミール・ゾラが美術評論を載せていた冊子だそうです。セザンヌの繊細な気持ちと孤独さを感じる1枚です。