アメリカでの主婦生活を淡々と記録するブログ

アメリカ生活の備忘録。育児の思い出記録が中心です。慣れない環境で頑張って生活していますが、喉元過ぎれば自分でも「何を頑張ってきたか」忘れてしまうので、アメリカで頑張って来たことや悩み事、楽しかった思い出の備忘録として書いています。

アメリカの黒人の歴史について、学んだことを羅列する

アメリカの博物館を訪問する中で、アメリカの黒人の歴史について、時系列に沿って、各事項の内容と繋がりを知りたいと思ったため、本を1冊読みました。
ネットで良書と評されており、実際に簡潔で分かりやすくて良い本でした。1991年と少し古いです。

www.iwanami.co.jp

<目次>

プロローグ アメリカ黒人とは

  • 黒人が白人を殺害したときの死刑になる割合は、白人が黒人を殺害したときの4倍以上
    • 1987年ミシシッピ州、60歳の白人女性が殺害された際、黒人青年エドワード・アール・ジョンソンが物的証拠なしに犯人とされ、死刑になった
  • 2020年現在で、黒人は総人口の12.1%。

1.植民地時代の奴隷制

  • 1619年:ヴァージニア植民地
    • 建国の歴史としてはマサチューセッツ植民地が有名だが、最初ではない

    • 金銀を求めてやってきたが、タバコ栽培を生業とする方針に変更。安価な労働力が大量に必要

  • アメリカの民主主義と奴隷制度は、同じ年に同じ場所で始まっている
    • 1619年:オランダ 船から20人の奴隷を譲り受ける
    • 1619年:ヴァージニア植民地議会の代議院開会(植民地自治の開始)
  • 奴隷制度の起源(世界)
  • 奴隷制度の起源(アメリカ)
    • 最初は白人の年季奉公人と同じ扱い

    • 白人年季奉公人は、契約期間がすぎたら自由化させる必要があったが、黒人は永久に労働させることができたのでコスパがよかった。

    • 1661年:ヴァージニア植民地議会が黒人を終身奴隷とする法律を作り、他州がこれに続く

2.独立革命

  • 1770年3月 ボストン虐殺事件
    • 独立戦争の契機となる事件。植民地の民衆とイギリス駐屯兵の間に諍いが生じ、植民地人5人が殺害される事件。

    • 最初の被害者クリスパス・アタックスは自由黒人

  • 1775年 独立戦争
  • 1789年 合衆国憲法制定:奴隷と奴隷貿易憲法に規定される
    • 「合衆国に直属する国土」と規定し、インディアンから土地を奪う(第4条第3節第2項)

    • 州の人口算定で、奴隷を「自由人以外のすべての者の数の5分の3」と規定する(第1条第2節第3項、いわゆる5分の3条項

    • 「入国が適当と認められる人々の移住又は輸入」として黒人奴隷貿易を規定(第1条第9節第1項)

  • 1775年 奴隷制反対協会

3.南部の綿花王

4.奴隷制廃止運動

  • フレデリック・ダグラス
    • 元奴隷で、逃亡により自由身分を手に入れた。奴隷でありながら幼少の頃に読み書きを習う。

    • 1847年、自身の機関紙「北極星」を刊行。

    • リンカーンと並ぶ功績を持ちながら、ほとんど知られていない。社会に、黒人の功績を残す習慣がなかった

  • ハリエット・タブマン
    • 自身も元奴隷だが逃亡に成功する。

    • 1850年に自分の妹と子供を逃亡させた後、南部の黒人のカナダへの逃亡を300人近く支援した。

  • ウォーカーの訴え(Walker' Appeal
    • 1829年、ボストンの自由黒人ウォーカー・デイビットが、奴隷暴動を神の意思として肯定

    • 1831年に過去最大級のナット・ターナーの暴動がバージニアで起こる

  • ジョン・ブラウンの蜂起
    • 1859年、白人の奴隷解放主義者ジョン・ブラウンが北部の奴隷解放主義者の経済的支援を受け、ウエスバージニア州ハーパーズフェリーにある南部の武器庫を襲撃した事件。

    • 計画は失敗に終わり、ブラウンは処刑されるが、奴隷問題は武力によってしか解決できないことを示した点において、2年後の南北戦争の予兆となった。

    • ブラウン処刑前の発言「罪深いこの国の罪業は、流血によって飲み洗い清めることができると、今こそ確信している

    • ブラウンの英雄的行為は全米を震撼させ、海外の著名人もブラウンを追悼した。

    • ブラウンはウォーカーの訴えや、ナット・ターナーの暴動に刺激を受けていた。

5.南北戦争

  • 1857年 最高裁ドレッド・スコット判決
    • 黒人は合衆国の市民になることができず、提訴権がない(黒人は「財産」である)

    • ヴァージニア(奴隷州)に生まれた奴隷ドレッド・スコットが、主人の転居に合わせてイリノイ州(自由州)に住んだことがあるため、自分は既に自由身分を手にしていると主張して起こした裁判。

    • 裁判長及び裁判官の過半数が南部出身。個人的な係争にとどまらず、奴隷制養護vs廃止の代理戦争となる。

  • ダグラス=リンカン論争
    • リンカン(共和党)とダグラス(民主党)の奴隷制をめぐる論争。

    • ダグラスはドレッド・スコット判決よりも住民主権の原理を優先したため、民主党内で意見が割れてしまった

  • 南部連合の合衆国からの分離
  • 奴隷解放宣言
    • 1861年:リンカンの大統領就任演説

      • 奴隷解放よりも国体維持が最優先課題

      • 共和党員からの質問への回答「もし奴隷を解放せずに連邦を救えるのなら、私はそうしただろう

      • リンカン個人としては、奴隷は漸次解放とした上で所有者に補償を支払い、自由奴隷はアフリカ送致がよいと考えていたが、黒人や共和党急進派がそれを許さなかった

    • 奴隷解放宣言の内容

      • 反乱諸州が翌年1/1までに連邦に復帰しない場合、当該諸州の奴隷を開放することを世界に宣言

      • 境界奴隷州(デラウェア、メリーランド、ミズーリ、ケンタッキー)と北部奴隷には適用されない。

6.南部の再建と黒人差別制度

  • 1865年:リンカン暗殺
  • 南部再建:アンドリュー・ジョンソン大統領
    • 1866年:公民権法、憲法修正14条(市民権の付与)
    • 1867年:南部再建法
    • 1870年:すべての南部連合州が合衆国に復帰
    • 1870年:憲法修正15条(投票権の付与)
    • 黒人国会議員、衆議院、副知事などが誕生する。
  • 再建の失敗
    • 北部では労働運動が盛んになり始めていたため、南部の再建が行き過ぎることで、北部の労働運動が勢いづくことを恐れていた

    • KKKなどの白人至上主義の秘密結社が台頭した

  • 1877年:南部から合衆国軍が撤退:ヘイズ・ティルデンの妥協
  • 時代背景:19世紀後半は「金ぴか時代」。すさまじい経済発展
    • 製造業生産高7倍、賃金労働者4倍、投下資本額10倍

    • 1880年代に主要産業が農業←鉄鋼や製造業へ。フロンティア消滅。

    • 1869年 大陸横断鉄道が完成。

    • 南部諸州では、合衆国軍撤退以降、黒人差別的な州法が成立していく。

  • シェアクロッピング・システム
    • 自由黒人への土地の分配ができなかった。経済的支えがなく「自由しかない」状態

    • プランテーション農家の大土地所有を解体しなかったため、引き続き黒人はプランター農家から借地して、労働搾取されることとなった

  • 人民党運動
    • 1891年:人民党誕生(第三政党)

    • 貧しい白人と黒人の対立が再燃する。貧困という現実が、人種差別を再燃させた。

  • 黒人選挙権の剥奪
    • 1890年代~20世紀初頭にかけて、南部諸州を皮切りに発生

    • 選挙権の要件として、人頭税や読み書きテストのスコアを求めることを州憲法に書き入れる(合衆国憲法15条の抜け穴化

  • 黒人の市民的自由の剥奪
    • 1883年 最高裁判決 

      • 公民権は州の市民に備わるものであるから、これらは黒人の市民権付与を規定した憲法14条の適用は受けない

      • 1875年の公民権法の否定

    • 1896年 最高裁 プレッシー対ファーガソン判決

      • 分離しても平等なら差別ではない」として、電車での人種隔離を認める。これが人種差別に法的支柱を与える結果となる

      • その70年後のブラウン対教育委員会判決まで、影響を与え続ける

7.近代黒人解放運動

  • リンチ事件の増加
    • 1882年から1947年の間に起こったリンチ事件3426件のうち、36%(1217件)が1890年代の10年間に発生している

  • ジム・クロウ体制
    • 南部地域で、人種分離を認める法律が多数成立

    • 黒人が北部へ流入すると、北部エリアでも雇用や住宅面での人種差別が広がる。

  • ブッカー・T・ワシントン
    • 自著「奴隷から身を起こして」、スピーチ「現在位置でバケツを下ろせ」

    • アラバマ州にタスキーギ大学を創設

    • 黒人の地位や境遇の改善には黒人自身がまず腕を磨き技能を身に着け、産業社会で白人と友情の絆を深めながら一歩ずつ努力すべきという考え(タスキーギ運動

    • 非政治主義:政治キャンペーンは白人の反黒人感情を煽る

    • クリーヴランド大統領からホワイトハウスに招待、カーネギーが教育事業に60万ドルの寄付金等、白人財界から多額の寄付。ハーバード大学から名誉学位

  • W.E.B.デュボイス
    • ワシントンを「アトランタの妥協」として批判。自著「黒人の魂」

    • 自由黒人の子、フィスク大学・ハーバード大学ベルリン大学で学び、アトランタ大学で教職に就く。

    • ナイヤガラ宣言:一切の黒人差別に反対し、「不屈の精神をもって世論を喚起することこそ解放への道である」と、黒人を差別撤廃闘争に立ち上がるよう呼び掛けた(ナイヤガラ運動

  • NAACP(National Association for the Advancement of Colored People、全国黒人向上協会)
    • 1909年創設、1910年名称決定。

    • 1908年にイリノイ州スプリングフィールドで起こった大規模な人種暴動に端を発している

    • リンチ反対運動や法廷での黒人差別撤廃闘争に精力

    • ナイヤガラ運動系列

  • NUL(National Urban League、全国都市同盟)
    • 南部農村から離脱して都市部に集まる黒人の都市問題に貢献

    • タスキーギ運動系列、穏健

  • 第一次世界大戦と黒人ディアスポラ
    • 1910年代、黒人が都市部に拡散し始める

    • 南部のブラック・ベルトは大都市の工場に安価な労働力を補給する兵站基地に

    • 第一次世界大戦に従軍し、フランスなど他国軍から人間的扱いを受け、人種差別への怒りを強めて帰国する者も

8.公民権闘争の開幕

  • 1941年 大統領令8802号:雇用による人種差別禁止
    • 防衛産業や政府機関で人を雇う場合、人種・信条・肌の色・出身国により差別してはならない

    • 第二次世界大戦での徴兵が必要だったが、移民の国なので国民のルーツが異なり、国をまとめるのが難しい

    • 順守されているかどうか、公正雇用実施委員会を設置

  • トルーマン大統領時代
    • 1946年 公民権委員会発足

    • 1947年 大統領令9981号:軍隊内の差別禁止。「隔離なき軍隊」の組成

    • 1945年 ニュージャージー・ニューヨークで差別的雇用を禁止する法律を制定

    • 1950年代~ 差別的雇用を禁止する法律が各地で相次いで発生(全米に拡大したとまではいえない)

  • 1940年 最高裁 スミス対オールライト判決
  • 1951年 最高裁 ブラウン対教育委員会判決
    • カンザス州にて、娘を白人の公立校に通わせることについて、黒人ブラウンが訴えたもの。

    • 当時南部中心に20以上の州が、黒人と白人は別の学校に通うことを州法で定めていた。

    • 公教育においては『隔離しても平等』を受け入れる余地はない」として、人種の隔離は憲法違反であることを示す

    • 南部宣言

      • 南部選出の国会議員101人で組織

      • 最高裁判決は司法権の乱用であるとし、全南部をあげて人種統合に抵抗することを誓う

  • 1953年 ルイジアナ州バスボイコット運動
    • 黒人と白人のバス席を分離することについて、市条例の制定を求める嘆願書が提出される。結果「白人は前方から、黒人は後方から」座ることが規定される。

    • これを不満とする黒人が条例の施行日にボイコットをするが、全員白人からなる運転手たちと対立。

    • ボイコットが6日続き、妥協策として「前2列は白人席とする」で終結

  • 1956年 最高裁 バスの人種隔離は違憲
    • ローザ・パークス白人にバスの座席を譲らなかったため逮捕

    • 黒人がこれに反発、当時26歳のキング牧師指導の下、約1年間バスをボイコットする。

    • キング牧師「もし我々が間違っているというのなら、それは最高裁が間違っている。合衆国憲法が間違っている」「これは黒人だけの勝利ではない。正義と良心の勝利である」

  • オリザリン・ルーシー事件
    • 3年間の法廷闘争を経て、大学入学の権利を勝ち取った黒人女子学生ルーシー

    • 入学3日目に、ルーシーの入学を阻止しようと500人の学生が集まる。ルーシーの車は投石で破壊され、なんとか難を逃れる。

    • 大学は「ルーシーの安全を守るため」休学を命じる。アラバマ州連邦裁判所に復学を求める訴訟を起こして勝訴するが、虚偽の暴言で大学を非難したとして、退学処分になる。

  • 1957年 アーカンソー州リトルロック市の人種共学運動
    • 人種統合反対派の知事が、この問題を自身の選挙戦アピールに活用するため、これら黒人生徒の入学を阻止するために、州兵250名をリトルロック高校に動員

    • 静観していたアイゼンハウアー大統領も、知事に面会して対策を依頼。知事は州兵を撤退させたものの、敢えて無政府状態を作り出したため、黒人生徒の登校日には暴動が発生

    • キング牧師からの依頼もあり、大統領はアーカンソー州兵を連邦兵に編入し、連邦軍1000名に出動を命じ、裁判所決定を守れば連邦兵を撤退することとした。

    • 最初の黒人卒業生アーネスト・グリーンの言葉「ぼくたちは一段ずつ高校の階段を上った。銃を構えた連邦軍に守られて。夢じゃないんだ、とうとう学校に行けるんだと思っていました。階段を踏みしめながら、それまでにない最高の気分を味わっていました」

  • 1961年 自由のための乗車運動
    • 最高裁判決(ボイントン対バージニア対決。バス車内及びすべての関連施設での人種差別禁止)がどの程度守られているのか検証するために、CORE(人種平等会議)が主催した、ワシントンDCから南部のニューオリンズ州まで、「敢えて白人専用エリアに座る」バス乗り継ぎの旅。

      • サウスカロライナ州ロックヒル:20人の暴漢がライダーズを襲う。警察は、女性ライダーズが押し倒されてようやく反応する。

      • アラバマ州火炎瓶が投げ込まれてバスが黒焦げになる。

      • アラバマ州アニストン:バス内で、白人が「黒人エリアに座れ」と要求し、ライダーズがこれを拒否したところ、殴られて重症になる。やむなく黒人エリアに移動。

      • アラバマ州バーミングハム:KKKのメンバー含む40人の暴徒がバスを取り囲む。鉄パイプで殴打され、COREメンバーのひとりは、53針縫う大けがをする。警察は対応しない。

      • アラバマ州モントゴメリー:乗せてくれるバスがなくなり、計画を変更する。ニューオリンズまで飛行機で行き、ブラウン判決記念の大衆大会に出ることを目的とする。

      • 学生非暴力調整委員会(SNCC)が活動を引き取り、ライダースを新編成する。

      • 暴徒が3000人以上に膨れ上がり、世界の注目を集める。ロバート・ケネディ司法長官は6000人の連邦保安官とFBI捜査官を派遣

      • ミシシッピ州ジャクソン:白人待合室に入った瞬間、治安妨害と警察不服従の容疑でライダーズが全員逮捕される

    • ニューオリンズにはたどり着けず。全米各地で類似活動が起こる。

    • 州際交通委員会が「人種差別をしているバスは扱わない」と宣言し、COREが勝利宣言をする。

  • 1963年 ワシントン大行進

9.黒人革命

  • 1960年 ランチ・カウンターへの座り込み運動(Sit in)
    • ノースカロライナ州グリーンズボロにて、ノースカロライナ農工大の4人の黒人学生が、全米各地に支店を持つチェーン飲食店にある白人専用ランチカウンターにて、座り込み運動を始めた。その年の2月1日から始まり、7日の抗議集会には1600人が集まる大集会に。

    • 4月には南部の80近い都市に運動が広まり、2000人以上の学生が逮捕された。

  • 5大解放組織が出そろう
    • NAACP(National Association for the Advancement of Colored People、全国黒人向上協会)

    • NUL(National Urban League、全国都市同盟)

    • CORE(Congress of Racial Equality、人種平等会議)

    • SCLC(Southern Christian Leadership Conference)

    • SNCC(Student Nonviolent Coordinating Committee、学生非暴力調整委員会)

      • 1960年に反戦・反差別をスローガンに黒人学生が中心となって設立した公民権運動団体

10.アメリカ黒人の現在

  • 政治参加の進展
    • 1965年に280人だった黒人公職者 →現在7000人以上

    • 南部の有権者登録 1941年に3%→1984年で66.9%

    • 1989年:ヴァージニアで初めての黒人知事

  • 教育の人種統合
    • 南部の州で、白人と同じ学校に通えた黒人の割合

      • 1945年0.1%→1966年15%→1973年46%

      • 人種統合した学校の成績は上がったが、低学力クラスは黒人が多い

      • 白人が郊外に移動し、都市に白人がいなくなる現象が各地で発生

      • 衛生環境

        • 黒人の乳児死亡率、低体重児出生率は白人の2倍

        • 10代の出産:白人の二倍以上

        • 平均寿命:白人75.6歳、黒人69.7歳