アメリカでの主婦生活を淡々と記録するブログ

アメリカ生活の備忘録。育児の思い出記録が中心です。慣れない環境で頑張って生活していますが、喉元過ぎれば自分でも「何を頑張ってきたか」忘れてしまうので、アメリカで頑張って来たことや悩み事、楽しかった思い出の備忘録として書いています。

「僕は明日死んでも良い、君を知らずに100年生きるくらいなら」ポカホンタスの聖地巡礼・Jamestownに行ってきました

"I’d rather die tomorrow than live 100 years without knowing you."

タイトルの名言は、ディズニー映画「ポカホンタス」からの引用です。

夏の国立公園巡りに向けて、子供達にネイティブアメリカンについて教えたかったので、一緒にポカホンタス」「ポカホンタス2」を見てから、映画の聖地巡礼に行ってきました。

〈目次〉

1.ジェームズタウンとは

アメリカの植民地といえば、信仰の自由を求めてやってきた「ピルグリム・ファーザーズ」とともに、マサチューセッツ州プリマス植民地について習った記憶があります。

しかし実際に1番最初の植民地なのは、ロンドン商人が開いたバージニアジェームズタウン植民地であり(1607年)、そこではかなり初期(1619年)から黒人奴隷もいたそうです。
故に、アメリカの植民地代表として、ストーリーの美しいプリマス植民地の例が好まれて使用されてきたことを「移民国家アメリカの歴史」で読みました。

アメリカの移民の歴史について、学んだことを羅列する① - アメリカでの主婦生活を淡々と記録するブログnazekadcniimasu.hatenablog.com

 

ジェームズタウン植民地は、1607年にロンドンのバージニア株式会社が到着したあと、1699年にウィリアムズバーグに植民地首都が移るまで、バージニア植民地の中心となり続けます。


現在はジェームズタウン・ウィリアムズバーグ・ヨークタウンの3箇所がColonial National HistoricalPark Virginiaに指定されています。

www.nps.gov

ちなみにバージニアの首都は独立戦争の時に、近隣のリッチモンドに移り、リッチモンドは現在もバージニアの首都です。こちらも南北戦争では南部連合の首都となるなど、ポカホンタスの聖地である以前に、この一帯が歴史的に重要な拠点の集積地です。

今回は滞在時間3時間ほどで、ジェームズタウン周辺のみ回りました。

 

2.ディズニー版ポカホンタスのストーリー

ディズニーの「ポカホンタス」は、イギリスの探検家ジョン・スミスと、先住民ポウハタン族の娘ポカホンタスが出会い、恋に落ちる物語です。

 

ポカホンタス2」では、ポカホンタスイギリスの外交官ジョン・ロルフと共にイギリスに向かい、王に謁見してポウハタン族への艦隊を止めるようお願いします。

そして死んだと思っていたジョン・スミスとも再会するものの、最終的にはジョン・ロルフと結ばれる…という話です。(このポカホンタスの心変わりが唐突で、見ていてちょっとびっくりするのですが…)

 

3.史実とディズニー版ポカホンタスの違い

ポカホンタス、ジョン・スミス、ジョン・ロルフは実在の人物ではあるものの、ストーリーにはディズニーの脚色が多いようです。
後述のように、そもそもポカホンタス自体が神話化されやすい人物のようですが、ディズニーの脚色で特徴的なものは下記2点です。

(1)ポカホンタスとジョン・スミスは恋に落ちていない

ジョン・スミスは1608年に植民地の大統領になり、先住民に温和な姿勢を持ったリーダーであったようです。チェサピーク湾の地図作りやアメリカ大陸の自然環境や先住民の状況を整理した書物を出版したようです。

ポカホンタスと恋愛関係にあった事実はなく、生涯独身であったようです

映画にある、「ポウハタン族の酋長に殺されそうになった時に、ポカホンタスが身を挺してスミスを守った」という話は、スミス自身が語っているようではありますが、その信ぴょう性については学説が分かれるようです。

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(2)ジョン・ロルフは外交官ではない

歴史の中でもジョン・ロルフは登場し、ポカホンタスと結婚しています。しかし彼は外交官ではなく、成功したタバコ商人だったようです。
そしてネット上では、これらは決してロマンチックな結婚でなく、ポカホンタスはイギリス植民地の捕虜になった結果、その捕虜期間にイギリスの洗礼を受けさせられた、それに続いて結婚に至った…という驚きの記載もあり、実際に、ポカホンタスが捕虜になっていたことはJamestown Settlement でも記載がありました。

 

4.Jamestown settlementとColonial National Historical Parkの違い

非常にややこしいのですが、Jamestown settlementはColonial National Historical Parkとは異なる、民間の博物館のようでした。

 

さくっと区別すると

  • Colonial National Historical Park
    • 国立公園年パスが使える。しかしポカホンタス像を含む、全体の半分ほどのエリアは有料となり、大人は1人$15かかる。
    • ポカホンタス像、ジョン・スミス像、実際に上陸した河岸などが見どころ。
    • 無料エリアにも博物館のような展示コーナーがある(今回は時間がなくて回れず)。
  • Jamestown Settlement
    • 大人1人$18。
    • 実際にイギリス船が上陸したエリアとは異なるが、そのぶん(?)展示が充実している。
    • イギリス入植者、ポウハタン族、黒人奴隷の三者生活様式を再現している。実際にそれぞれの自宅に入ってみることもできる。解説のビデオも充実している。
    • イギリス船(中身も再現しており、中に入れる)、イギリスの銃の実演パフォーマンスなどが見どころ。

5.Jamestown Settlementに行きました

全ての州旗とともにイギリスの船を模したモニュメント。アメリカの始まりがバージニア植民地にあることを示すようです。


(1) ポウハタン族

イギリス入植者が現れる前からの、先住民ポウハタン族の暮らしの説明がありました。

14,000人が30以上の部族に分かれ、部族ごとにリーダーをもっていたそうです。

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屋外には、ポウハタン族の集落のレプリカがあり、中に入ることができます。
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(2) 奴隷(アンゴラ人)

バージニア植民地周辺ではたばこ産業が盛んであり、初期から黒人奴隷がいました。

1619年にバージニアアメリカ初の黒人奴隷がたどり着いたこと(ただし、この当時は他の白人等と同様、年期奉公人としての扱いに近い)、17世紀半ばにはどんどん白人が年期奉公人にならなくなったため、しだいに黒人が奴隷にされることが増え、1661年に奴隷を生涯奴隷とする奴隷法が制定されたことの説明がありました。

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奉公期間が明けて、土地を所有できた黒人が「私は幸運だった」として語るホログラム。彼の自宅のレプリカがあり、入室することもできました。

初めての黒人奴隷(1619年)がアンゴラから通ってきた航路

アフリカ人のアメリカでの扱いの解説

1619年、アメリカで初めての奴隷に関する解説

(3) イギリス人

当時のイギリスは土地などの資産が一部の国民により所有され、人口の10%未満が土地の75%以上を所有する、厳しい階級社会にありました。

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ジェームズタウン到達の直前(1603年)まで王位にあったエリザベス1世は"Virgin queen"と呼ばれており、植民地の名は女王に敬意を表して「バージニアと名付けられました。
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写真を撮りそびれましたが、イギリスの銃については、実際に「バン!」と撃ってくれる実演もありました。
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イギリス入植者の上位階層の自宅レプリカ

イギリス入植者の集落のレプリカがありました。(すべて入室できます)
個人の自宅のほか、3つの公共施設もありました。

教会

武器庫

貯蔵庫

(4) ポカホンタスの神話と史実

ポカホンタスに関する逸話は創作が多く、その実態には議論が多いそうです。いきなり「ポカホンタスは(酋長である)父親と明確な血縁関係を持たないかもしれず、多くの妻たちから生まれた1人にすぎない」と書いてあり、驚きました。

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ポカホンタスのイメージは、時代のニーズに応じて修正され、1800年代には商業価値を見出され、タバコやクレンザー等の広告にも使用されるようになります。

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ジョンスミスの記録には「ポカホンタスはこの植民地を死、飢饉、そして完全な混乱から守るための道具でした…」とあります。

1607年にジョン・スミスはポウハタン族に捉えられ、殺されそうになる場面をポカホンタスに助けられ…そしてこれがアメリカの有名な伝説となりますが、実際は殺されそうになっていたのではなかったという説が紹介されていました。

ポウハタン族はジェームズ植民地を自領とするために、ジョン・スミスを息子として迎え入れる儀式をしており、それを「殺されそうになった」と勘違いしたという説です。

父であるポウハタン族酋長に対し、ジョン・スミスの命を嘆願するポカホンタス

ジョン・スミスに、ポウハタン族の奇襲計画を密告するポカホンタス

イギリス入植者とポウハタン族は4年間戦争をしていて(First Anglo-Powhatan War,1609)、1607年に104人で上陸したイギリス人は1609年冬の終わりには飢饉により60人が死亡しました*1。この中で、ポカホンタスはうち1年間は捕虜として拘束されていました。そしてこの間に英語を教えられ、宗教的指導を受けた上、1614年には洗礼を受け名を「レベッカ」とします*2

脚色が強いと言われるポカホンタスの洗礼の絵

1614年にポカホンタスイギリス人タバコ事業家のジョン・ロルフと結婚して、1616年にジョン・ロルフはバージニア会社の招待でイギリスへプロモーション旅行に行きました。

イギリスではポカホンタスバージニアの王族として迎えられ、毎年恒例のホワイトホールでの舞踏会にも招待されました。(ディズニーのポカホンタス2でも、ポカホンタスがイギリスの舞踏会に招待されるシーンがあります)

1617年にジョン・ロルフがバージニアに帰る準備をしていた折、ポカホンタスは体調を崩して亡くなったそうです。ジョン・ロルフは息子をイギリスに残して再びバージニアに帰還し、息子とは二度と会うことがなかったそうです。
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結局ポカホンタスは、「ポウハタン族を裏切った」のか「捕虜になりイギリス文化を受け入れることを余儀なくされた」のか、はたまた「イギリスと先住民の文化をつなぐ大使のような役割を担った」のか、議論は続いていると説明されていました。

ポウハタン族の血を引くネイティブアメリカンは、現在も8つのグループに分かれ存在しているそうです。

 

(5)ジェームズタウンに着いたイギリス船

人が多かったので写真を載せていませんが、船員のベッドなども再現して作成されていました。子供はここが一番楽しかったようです。

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6.Colonial National Historical Parkに行きました

国立公園の年パスを持っているので、無料でいけると思っていましたが、半分ほどのエリアは別料金で、大人は$15かかりました。お目当てのポカホンタス像が有料エリアだったので渋々支払い・・・。

(1) イギリス人が初めてたどり着いたのはここです

国立公園では、実際の跡地を持っているようで、イギリス船が上陸した跡地を見ることができました。

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(2) ポカホンタス

博物館コーナーは時間がなくて寄れなかったので、こちらではポカホンタスがどう書かれているか確認できませんでした。しかしこちらのポカホンタス像は一度見たかったので、確認出来て嬉しいです。

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(3)ジョン・スミス像

ポカホンタス像と離れた場所に、海に面した状態でジョン・スミス像がありました。

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7.ディズニー版「ポカホンタス」は子供向けの教材としてありがたい

「創作が強い」と批判のある、ディズニー版ポカホンタスですが、子供向けには大変ありがたい教材でした。
Jamestownの説明は、子供(5歳男子、3歳女子)には難しいと思う部分もありましたが、頭の中にざっくりポカホンタス側=アメリカ、インディアン」「ジョンスミス側=イギリス、船でやってきた」という2つのイメージがあり、子供なりに楽しんでいたように思います。

5歳息子が一番楽しかったのは「Jamestown Settlementのイギリス船」、3歳娘が一番楽しかったのは「国立公園のポカホンタス像で写真を撮ったこと」と言っていました。

*1:国立公園パンフレットより

*2:Jamestown Settlementの展示より