アメリカでの主婦生活を淡々と記録するブログ

アメリカ生活の備忘録。育児の思い出記録が中心です。慣れない環境で頑張って生活していますが、喉元過ぎれば自分でも「何を頑張ってきたか」忘れてしまうので、アメリカで頑張って来たことや悩み事、楽しかった思い出の備忘録として書いています。

アメリカ現地校2年目:ママ業の悩み

英語力の向こうにあった、より大きな不安

現地校1年目は、日本人のお友達をベースに過ごしましたが、2年目はほぼ完全に英語のお友達と交流するようになりました。
地域や学校によっては、1年目から完全に英語のコミュニティに入られる方も多いと思いますが、我が家は日本人の多いエリアに住んでいるため、こういう感じでした。

 

アメリカに住んでいるので、子供も英語が話せるようにならないと学校生活に困るだろうということがあり、私自身、1年目は「子供に英語のお友達を作ってあげること」を小目標にしていたので、目指していた状態に到達しているとも言えます

しかしせっかく小目標を達成したのに、親の私にとってはなぜか、この毎日が本当に疲れるし、苦しいのです。

書き出して心を整理したいと思います。

〈目次〉

1.細かな文化差 例:断り方

ひとつひとつは細かく、全く深刻ではないのですが、細かな文化の違いを感じることがあり、これに疲れることがあります。

例えば、何かの誘いを断るとき。「プレイデートに誘われたが、単に気乗りしないので断りたい」という状況があるとします。


日本人であれば、たとえ先約がなかったとしても「ごめんなさい、明日は先約があって・・・」などと噓の理由を付して、ちゃんと返信をくれることが多いですが、アメリカの方だと「行けないんだ、ごめんね!」(理由は特に付していない)だったり、酷いと返信すらなかったりします。というか、基本的に気乗りしない内容には返信しないカルチャーのようです(※)

じゃあ「返信がない=気乗りしないからナシで!」と解釈してよいかというと、そうじゃないケースも割とあって、メールが届いていない(名簿の間違い、アプリの不都合など)ケースもそれなりにあって、結構ややこしいのです。これが疲れます。

(※)アメリカ入国時に保活をして、5~6園にメールを送りましたが、返信をくれたのは2園だけでした。他の園は、空きがなかったのかと思います。「空きがありません」という返信をせずに、単に無視されたものと思います。この手「都合悪い場面では返信しない」話は、あらゆる場面で聞きます。

 

こういう文化的背景があってもやっぱり、来るはずの返事がこなかったり、(私が期待するよりも)雑な感じで断られると、どうしても「あれ、私嫌われているのかな」「何かまずいことをしたかしら」と思ってしまうのです。疲れます。

2.現地の子とトラブルを起こしたら終わりだ、というプレッシャー

幸い今年度は意地悪な子もいなくて、子供達は現地のお友達とそれなりに仲良く楽しく過ごさせていただいているようです。

しかし我が子達は言葉も拙く体も小さく、こどもコミュニティの中では弱者であることは間違いありません。

現地のお友達の善意のバランスの上で、平和な毎日を過ごせていますが、ある日誰かの心に悪意が芽生えてしまったら?という不安が拭えず、仲良しのお友達ができても、いつまで経っても、心から安心することができません。

我が家は他の現地ママさんのように、学校側と濃密にコミュニケーションが取れているわけでもないし、何か起こったら圧倒的に弱い立場だな、と日々思うのです。

 

3.経済力の差、話題のズレ

メンタル面の疲労以外にも、あまりに生活環境が違いすぎて困ることもあります。

例えば経済力の差… 主に自宅の設備差です。当たり前のように、お友達親子同士でお互いの自宅へ招き合いをしたりしますが、我が家は他のネイティブ家庭の1/10?くらいの自宅(マンション)に住んでいるので、どうしても快適な時間を提供できません。マンション暮らし同士なら気楽なのですが… 

 

また、アメリカ人ではなくかなりレアな国の出身の方だと、相手国への知識が無さすぎて、「何か失礼なことを言ってしまったらどうしよう」と不安を抱えながら話しています。共通の話題もほぼありません。

(これはイカンと、世界中の現代社会や、宗教の基礎知識の勉強をし始めました)

 

4.日本人コミュニティから少し離れてしまった寂しさ

というわけで、どこまで行っても現地ママとの間には心の距離を感じるわけですが、日本のコミュニティからも少し距離ができてしまったように思います。

子供達同士も、日本人同士で「いつものグループ」があるように見えますが、自分の子供達がどこにも属していないことに不安を感じることがあります。

 

5.ずっとグローバルコミュニティの中で暮らすのは、すごく大変に思えた

初めのうちは「初めての英語のお友達」「初めてのプレイデート」「たくさんプレイデートに誘われるようになってきた」…と、英語のお友達との関わりが増える度に新鮮さがあり、毎回嬉しく思っていました

子のプレイデートに限らず、ママ同士の遊び(お料理会など)も積極的に参加してきたように思います。

しかしこれが「日常」としてずっと続くと考えると、とても大変なことに思えて、気が遠くなりました。子供たちではなく、母の私が・・ついていけないのです。

周囲の方は良い人ばかりだし、何か悪意を受けたわけでもないのに、なぜかこちらの精神が勝手に消耗してしまいます。

背景には、自分の英語への自信のなさや、人種差別意識への恐れ、私の元来のネガティブ思考など様々な要因があります。

子供が友達を作り快適に学校生活を送るようになっても、母は引き続きアウェーな感覚がしばらく残ります、、、その中で、子供が何とか生き残れる程度の情報収集をしていかなければならないのです。異国のママ業はかなり孤独であると感じました。

 

6.アウェーな環境にはポジティブマインドが必要、という発見

昨年は昨年で「せっかくアメリカに来たのに、日本人とばかり交流している」ということに悩んでおり、英語の友人作りにも力を入れていました。

しかし実際にネイティブの友人が増えると、英語力の他にも感覚の違い(いわゆる「ノリ」)、人種差別への恐れ、政治宗教などの教養(マナー破りの会話をしないスキル)など様々な壁があり、自信を持って会話することができず、毎日疲れを溜める形になりました。

でも正直、気にしていたらキリがないこともある…。

むしろ、こうした細かいストレスを感じないポジティブさ、タフさ。少々のことで落ち込まない自己肯定感。楽しい話をできるユーモア。言語を超えて共有できる趣味。そういったことも必要に感じます。

子供達には、ぜひポジティブマインドを持って成長してほしい。英語力と同じくらいの武器だと思います。