Coloubia University School of Social workの全5回連続講義中、
第2回「US Social Services: Where did they come from?」の講義メモです。
この講義では、下記の項目を取り扱います。
<目次>
1.福祉政策の歴史的変遷
(1)福祉政策の起源
- 10,000年前~2,000年前に、世界各地で農耕が始まり、人は村に定住するようになった。自給自足の村の中で、それぞれの伝統(介護、育児、結婚など)が育まれていく。
- ヨーロッパにて、領主が土地の所有権を主張し、人を自分の領土から追い出し、羊毛産業を独占しようという動きが出た(囲い込み運動)。
- ここで追い出されたLandress peopleが、都市に居住し賃金労働者となってゆく。そして、この都市居住者が生活できる環境を整える試みが福祉政策と総称される。
(2)ヨーロッパの貧困法
- 産業革命がおこり、囲い込み運動により領土から締め出された人々が賃金労働者となった。
- 過酷な都市環境:水や衛星環境、住宅、労働者保護がない
- 核家族化
- この、産業化による地方から都市への配置転換は、今日の産業化社会でも発生している
- 例:北米貿易協定により、メキシコ人労働者が土地を売りロスやヒューストンに転入
- 世界初の貧困政策:Elizabethan PoorLaw
(3)アメリカの貧困法
- 条件:ヨーロッパと同じく、定住すること
- アメリカでは西部開拓すればだれでも土地を得られると考えられていたため、都市部で貧民に甘んずる必要はなかった点がヨーロッパと異なる。
- 人種格差:障害者や婚外子の母子など、西部開拓に参戦できない人材や、奴隷やインディアンは貧困法で守られなかった。
- 極貧(pauperism)
- 極貧は犯罪の原因となるため、社会全体で克服すべき病と考えられた。
- 一方で、貧困は本人に原因があるのかどうか、議論は今日もなお続いている。
(4)Poor Houseの機能分割(19世紀)
- PoorHouseは、精神疾患・発達障害・孤児・犯罪者・老人ホームと機能分割されていった。
- PoorHouse本体は、ホームレスのシェルターとして機能し、第二次世界大戦後まで続いた。
- この頃(19世紀)、アメリカには東欧・南欧からの移民が増加。
(5)優生学の浸透(19世紀後半、南北戦争時期)
- 金ぴか時代(the Gilded Age)には優生学が浸透し、貧困者の支援は行うべきでないという考えが蔓延した。
- Good Goverment Movement:屋外支援をやめて、PoorHouse支援に集中
- Scientific Charity:出身地や宗派による私設基金が急増したため、重複防止のために募金が管理されるようになる。
- 科学的なソーシャルワーク手法が確立。
(6)進歩主義(1896年~1917年)
- 南部やカリフォルニアは発展途上だったが、北部や中央部で進歩主義が発展し、福祉政策の基礎が州ベースで整備され、都市が居住可能な空間になった。
- 屋外支援の再開
- 水環境、公衆衛生、労働者の保護
- 第一次フェミニスト運動
- 「子供の人権」の発見
- 公的扶助、失業保険、障害者扶助、遺族年金(母子年金)の創設
- 婚外子の支援は遅れ、1960年代に整う
- 都市が居住可能な空間になった
- 南北戦争後、北部の退役軍人は年金が開始。アメリカで長い間老齢年金がなかった理由のひとつ
(7)第二次フェミニスト運動と禁酒法(20世紀中ごろ)
- 当時は水環境が悪く、アルコールは殺菌された飲料として親しまれていた。
- 女性は資産保有権がなく、労働権がなく、夫の付属品として扱われた。
- 夫が給料をアルコールに使ってしまうと家族が路頭に迷うため、第二次フェミニスト運動はアルコール禁止を憲法修正に至るまで協力に推し進めた(1920年)。
(8)第一次大戦後
(9)ニューディール政策(1932年~1941年)
- 世界恐慌後の景気対策として、連邦政府が初めて福祉政策に介入
- それまで州政府の権限とされていたが、失業率が25~35%となり、私設寄附や州政府で対応しきれないという考え
- フーバー大統領がこれを放置し市場機能に委ね、不況がますます悪化した経緯
- 連邦政府予算が、初めて直接的に黒人を支援
- WPA:公共事業を創出し、雇用を生む。道路や橋梁、公園、アート、保育事業など広範に扱う。
- CCC:北東部で大規模な植林や、国立公園やダムの整備を行う。
- 社会保険による最低限度の生活の保障
- 富の独占の緩和
- アメリカで最も裕福な上位10%が独占する資本:45%→32%
- 現在は再び格差が拡大して50%程度
(10)第二次世界大戦後
- アメリカ国内の状況:福祉政策の前提の変化
- 北部で住居の争奪戦。ユダヤ人、黒人、カトリックに家を売らないという規約があり、デモや裁判に発展
- Brown versus Board of Education(1954年)
- 最高裁が、人種分離した学校運営は認められないと判決
- エメット・ティルのリンチ殺害事件(1954年)
- 14歳のエメット少年がKKKに連れ去られ、リンチ殺害された
- 都市部は生産が伸び、南部は経済的に困窮
- 白人男性の復員にあたり、白人女性が再び家庭に入ることが求められた(有色人種女性は働き続けた)
- ベビーブーム(1946~1962年生まれ)
- 避妊の合法化、抗生物質の開発により性病の治療が可能に
- 離婚率の上昇
- 農村部の家族型農場経営は、離婚率を押しとどめていた
- 長寿命化
- 福祉政策
- 扶養児童は家族が必要という考えが主流に(ADFC(Aid to Family with Dependent Children))
- 障害者保険が整備され、サービス業など対象が拡大
(11)公民権運動
(12)Great Society(偉大なる社会、1961年~1972年)
- 連邦政府の役割の拡大
- ニクソン政権の年金制度改革(Supplemental Security Income)
- 国民食料配給制度、特別支援教育、高齢者の居宅介護サービスや高齢者・障害者向けの国民所得プログラムなどが整備され、社会福祉政策が大幅に充実
- 社会保障費用が5倍に(1965~72)
- 高齢者の貧困が3人に1人→10人に1人に
(13)権限の終焉(1973年~2008年)
- 1970年にアメリカの経済成長が停滞
- 連邦政府による最低賃金の上乗せ(1時間あたり2~3ドル)
- 住宅政策の縮小:民間住宅の賃貸補助に切替(そして2000年代に補助も消滅)
- 障害者支援:第一次ブッシュ(父)政権で障害者法が成立
- 障害者を屋内支援・屋外支援の対象ではなく、仕事を与え社会の一員とする
- 子育て
- 無償の幼児保育を行うという課題が、コストの問題により現在も懸案のまま
- 1960年代に連邦政府の負債が増大
- 母子年金
- 就労の義務化・ドラック検査・子供の数の制限など、支給要件の厳格化
2.労働者の保護
- 南北戦争後、雇用を得るのが非常に難しい状況だった
- 東欧・南欧から多くの移民
- 作業が機械化
- 1日14時間など、倒れるまで働き続けることが常態化したため、労働運動がおこり、労働者保護の権利を勝ち取った。
- 労働時間の上限:週60時間→48時間→40時間
- 労働時間の統制は州政府の権限
- 安全設備や労災の仕組み
- 1910年にNYで大規模火災が出て150人以上の死者
- 建築基準、消防法などの整備。
- 失業保険の本格的整備は1930年代
3.家父長制(Patriarchy)
- 結婚した女性は、夫抜きで法的に存在しない
4.フェミニズム運動
- 第一次(1848~1920年)
- 第二次(1960年代後半~1980年代の第二次レーガン政権)
- 賃金格差の解消、DV解消、保育手法の充実など、働きたい女性が働ける環境の整備を求める
- 第三次(1980年代中頃~)
- 出世志向、健康志向の強い女性の増加。
- 法学や医学などの分野への進出、スニーカーを履いた出勤の増加
- 第四次(現在)
- 同一賃金やリプロダクティブライツを守る戦いは続く。
- 「子供の人権」が発見されたことにより、家父長制は再び強まった。
4.子供の人権
- 工業都市では、6~7歳の子供が1日12時間~14時間働くことがあった。
- 子供は「学校に通い成長すべき存在」と位置づけ
- 就労開始年齢の引き上げ:10歳→12歳→14歳→16歳
- 思春期前の結婚の強制や奉公がなくなる
- 進学率の上昇により、就労開始年齢や結婚の年齢は上がり続けている
5.社会科学の誕生
- 19世紀:大学に社会科学系の学部がなかった
- 20世紀初頭には、ほぼすべての大学に社会系学部が設置される。社会科学の爆発的成長こそが、進歩主義そのもの。
6.人種
- 1920年~1970年代:北部都市への有色人種の移動
- 1930年代:北部の都市部に黒人・ラテンコミュニティが形成
- 1960年代まで中国人排斥運動があったため、アジアコミュニティは限定的
- 不況になると、差別により黒人とラテン系が最初に解雇された。救済措置は人種を超えて行われたため、連邦政府の資金が彼らの大きな助けになった。
- 第二次世界大戦では、人種別の軍隊が組織された。黒人やラテン系の将校が出現し、これがのちの人種バランスを変化させて、戦後の公民権運動に繋がってゆく。
- 差別の問題:貧困問題は人種問題、福祉政策は人種政策
7.新自由主義(Neoconservetism)
- 1960年代に整備された福祉政策への反発として、シカゴ大学経済学部が中心となり、小さな政府を推奨(市場重視、課税は最小限、所得の再分配を嫌う)
- 1950年代に生まれ、1970年代に強まり、1980年代のレーガン政権時代には政治的影響力を持っていた。