アメリカでの主婦生活を淡々と記録するブログ

アメリカ生活の備忘録。育児の思い出記録が中心です。慣れない環境で頑張って生活していますが、喉元過ぎれば自分でも「何を頑張ってきたか」忘れてしまうので、アメリカで頑張って来たことや悩み事、楽しかった思い出の備忘録として書いています。

子供達と春のお散歩。国立アメリカ・インディアン博物館と植物園に行きました

さて春休みになりました

駐在の残り期間を逆算すると、DC内の未訪問スポットを訪れたい気持ちになります。

ポカホンタス聖地巡礼に続き、なんとなく最近はネイティブアメリカンがテーマになっているので、低年齢ファミリー評判の良いこちらの博物館に行ってきました。子供が楽しめるエリアに訪問を絞っています。

〈目次〉

1.アメリカ・インディアン博物館

スミソニアン博物館群なので無料で、しかも小さな子供に向いているエリアがあると以前から評判を聞いていたので、行ってきました。

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(1)世界の食物需要を支えるアメリカ原産穀物

インディアン博物館ではとうもろこし、ジャガイモ、キヌアなどアメリカ大陸原産の穀物を栽培しており、農薬の代わりに天然のテントウムシを放っているそうです。
今回はいけませんでしたが、ネイティブアメリカンのメニューを食べられるカフェもあるようなので、いつか行ってみたいです。

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(2)3階 imagiNATIONS Activity center(子供向けエリア)

3階には0-12歳向けのエリアがあり、ネイティブアメリカンについて学びながらも、小さな子供が楽しんで遊べるようになってきました。

リャマがお出迎え。

リャマがお出迎え。

三大穀物、スカッシュ・豆・とうもろこし。これらの穀物は、一緒に植えると互いの成長を助ける「きょうだい」なんだそうです。
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湿地の生き物。鳴き声や、ネイティブアメリカンの衣装としてどのように加工されてきたか?等を学べます。
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ターキーの毛で帽子を作るようです

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カヤックの起源は、2000年前に北極の先住民が狩りに適したボートを開発したことにあるようです。あちこちにカヤックモチーフの遊びがありました。
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イヌイットが雪で作った住居「イグルー」は、立体パズルになっていました。これが子供たちに大人気でした。

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絵本コーナーには毛皮が。おそらくバイソンの毛皮です。
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ネイティブアメリカンの住居を模した遊び場もありました。
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パンを焼ける竈です。
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テントの中にはバッファローの毛皮がありました。
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ネイティブアメリカンの自宅風の建物の中には、おままごとツールがありました。すりこぎなどがあり、本格的です。子供たちはバナナスムージーを作ろうとしていたようですが・・・。
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低年齢向けの、動物と触れ合うコーナー。いろいろな動物のぬいぐるみがあり、ごっこ遊びができるようになっていました。
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2.US Botanical Garden(植物園)

アメリカ・インディアン博物館から歩いてすぐのところに、植物園があります。
以前訪問したのを息子が覚えていたようで「バナナの木をみたい」と言い出したため、寄り道しました。
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春なのでチューリップがきれいでした


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パパイヤの木

バナナの木。ぶら下がっている紫の物体が、花のようです。

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チョコの原材料、カカオの実

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3.バルトルディ噴水

植物園の道路を挟んで向かいに、噴水エリアがあります。こちらもおそらく植物園の管轄と思われます。

花壇の展示が、野菜になっていました。

スイスチャード。おひたしにするとほうれん草の代用になります

キャベツ。右下のキャベツを収穫したのは誰だろう

ぱっと見はネギですが、ニンニクでした


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枝垂桜を発見しました。キャピトルヒルを背景にしており、美しかったです。
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「僕は明日死んでも良い、君を知らずに100年生きるくらいなら」ポカホンタスの聖地巡礼・Jamestownに行ってきました

"I’d rather die tomorrow than live 100 years without knowing you."

タイトルの名言は、ディズニー映画「ポカホンタス」からの引用です。

夏の国立公園巡りに向けて、子供達にネイティブアメリカンについて教えたかったので、一緒にポカホンタス」「ポカホンタス2」を見てから、映画の聖地巡礼に行ってきました。

〈目次〉

1.ジェームズタウンとは

アメリカの植民地といえば、信仰の自由を求めてやってきた「ピルグリム・ファーザーズ」とともに、マサチューセッツ州プリマス植民地について習った記憶があります。

しかし実際に1番最初の植民地なのは、ロンドン商人が開いたバージニアジェームズタウン植民地であり(1607年)、そこではかなり初期(1619年)から黒人奴隷もいたそうです。
故に、アメリカの植民地代表として、ストーリーの美しいプリマス植民地の例が好まれて使用されてきたことを「移民国家アメリカの歴史」で読みました。

アメリカの移民の歴史について、学んだことを羅列する① - アメリカでの主婦生活を淡々と記録するブログnazekadcniimasu.hatenablog.com

 

ジェームズタウン植民地は、1607年にロンドンのバージニア株式会社が到着したあと、1699年にウィリアムズバーグに植民地首都が移るまで、バージニア植民地の中心となり続けます。


現在はジェームズタウン・ウィリアムズバーグ・ヨークタウンの3箇所がColonial National HistoricalPark Virginiaに指定されています。

www.nps.gov

ちなみにバージニアの首都は独立戦争の時に、近隣のリッチモンドに移り、リッチモンドは現在もバージニアの首都です。こちらも南北戦争では南部連合の首都となるなど、ポカホンタスの聖地である以前に、この一帯が歴史的に重要な拠点の集積地です。

今回は滞在時間3時間ほどで、ジェームズタウン周辺のみ回りました。

 

2.ディズニー版ポカホンタスのストーリー

ディズニーの「ポカホンタス」は、イギリスの探検家ジョン・スミスと、先住民ポウハタン族の娘ポカホンタスが出会い、恋に落ちる物語です。

 

ポカホンタス2」では、ポカホンタスイギリスの外交官ジョン・ロルフと共にイギリスに向かい、王に謁見してポウハタン族への艦隊を止めるようお願いします。

そして死んだと思っていたジョン・スミスとも再会するものの、最終的にはジョン・ロルフと結ばれる…という話です。(このポカホンタスの心変わりが唐突で、見ていてちょっとびっくりするのですが…)

 

3.史実とディズニー版ポカホンタスの違い

ポカホンタス、ジョン・スミス、ジョン・ロルフは実在の人物ではあるものの、ストーリーにはディズニーの脚色が多いようです。
後述のように、そもそもポカホンタス自体が神話化されやすい人物のようですが、ディズニーの脚色で特徴的なものは下記2点です。

(1)ポカホンタスとジョン・スミスは恋に落ちていない

ジョン・スミスは1608年に植民地の大統領になり、先住民に温和な姿勢を持ったリーダーであったようです。チェサピーク湾の地図作りやアメリカ大陸の自然環境や先住民の状況を整理した書物を出版したようです。

ポカホンタスと恋愛関係にあった事実はなく、生涯独身であったようです

映画にある、「ポウハタン族の酋長に殺されそうになった時に、ポカホンタスが身を挺してスミスを守った」という話は、スミス自身が語っているようではありますが、その信ぴょう性については学説が分かれるようです。

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(2)ジョン・ロルフは外交官ではない

歴史の中でもジョン・ロルフは登場し、ポカホンタスと結婚しています。しかし彼は外交官ではなく、成功したタバコ商人だったようです。
そしてネット上では、これらは決してロマンチックな結婚でなく、ポカホンタスはイギリス植民地の捕虜になった結果、その捕虜期間にイギリスの洗礼を受けさせられた、それに続いて結婚に至った…という驚きの記載もあり、実際に、ポカホンタスが捕虜になっていたことはJamestown Settlement でも記載がありました。

 

4.Jamestown settlementとColonial National Historical Parkの違い

非常にややこしいのですが、Jamestown settlementはColonial National Historical Parkとは異なる、民間の博物館のようでした。

 

さくっと区別すると

  • Colonial National Historical Park
    • 国立公園年パスが使える。しかしポカホンタス像を含む、全体の半分ほどのエリアは有料となり、大人は1人$15かかる。
    • ポカホンタス像、ジョン・スミス像、実際に上陸した河岸などが見どころ。
    • 無料エリアにも博物館のような展示コーナーがある(今回は時間がなくて回れず)。
  • Jamestown Settlement
    • 大人1人$18。
    • 実際にイギリス船が上陸したエリアとは異なるが、そのぶん(?)展示が充実している。
    • イギリス入植者、ポウハタン族、黒人奴隷の三者生活様式を再現している。実際にそれぞれの自宅に入ってみることもできる。解説のビデオも充実している。
    • イギリス船(中身も再現しており、中に入れる)、イギリスの銃の実演パフォーマンスなどが見どころ。

5.Jamestown Settlementに行きました

全ての州旗とともにイギリスの船を模したモニュメント。アメリカの始まりがバージニア植民地にあることを示すようです。


(1) ポウハタン族

イギリス入植者が現れる前からの、先住民ポウハタン族の暮らしの説明がありました。

14,000人が30以上の部族に分かれ、部族ごとにリーダーをもっていたそうです。

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屋外には、ポウハタン族の集落のレプリカがあり、中に入ることができます。
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(2) 奴隷(アンゴラ人)

バージニア植民地周辺ではたばこ産業が盛んであり、初期から黒人奴隷がいました。

1619年にバージニアアメリカ初の黒人奴隷がたどり着いたこと(ただし、この当時は他の白人等と同様、年期奉公人としての扱いに近い)、17世紀半ばにはどんどん白人が年期奉公人にならなくなったため、しだいに黒人が奴隷にされることが増え、1661年に奴隷を生涯奴隷とする奴隷法が制定されたことの説明がありました。

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奉公期間が明けて、土地を所有できた黒人が「私は幸運だった」として語るホログラム。彼の自宅のレプリカがあり、入室することもできました。

初めての黒人奴隷(1619年)がアンゴラから通ってきた航路

アフリカ人のアメリカでの扱いの解説

1619年、アメリカで初めての奴隷に関する解説

(3) イギリス人

当時のイギリスは土地などの資産が一部の国民により所有され、人口の10%未満が土地の75%以上を所有する、厳しい階級社会にありました。

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ジェームズタウン到達の直前(1603年)まで王位にあったエリザベス1世は"Virgin queen"と呼ばれており、植民地の名は女王に敬意を表して「バージニアと名付けられました。
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写真を撮りそびれましたが、イギリスの銃については、実際に「バン!」と撃ってくれる実演もありました。
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イギリス入植者の上位階層の自宅レプリカ

イギリス入植者の集落のレプリカがありました。(すべて入室できます)
個人の自宅のほか、3つの公共施設もありました。

教会

武器庫

貯蔵庫

(4) ポカホンタスの神話と史実

ポカホンタスに関する逸話は創作が多く、その実態には議論が多いそうです。いきなり「ポカホンタスは(酋長である)父親と明確な血縁関係を持たないかもしれず、多くの妻たちから生まれた1人にすぎない」と書いてあり、驚きました。

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ポカホンタスのイメージは、時代のニーズに応じて修正され、1800年代には商業価値を見出され、タバコやクレンザー等の広告にも使用されるようになります。

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ジョンスミスの記録には「ポカホンタスはこの植民地を死、飢饉、そして完全な混乱から守るための道具でした…」とあります。

1607年にジョン・スミスはポウハタン族に捉えられ、殺されそうになる場面をポカホンタスに助けられ…そしてこれがアメリカの有名な伝説となりますが、実際は殺されそうになっていたのではなかったという説が紹介されていました。

ポウハタン族はジェームズ植民地を自領とするために、ジョン・スミスを息子として迎え入れる儀式をしており、それを「殺されそうになった」と勘違いしたという説です。

父であるポウハタン族酋長に対し、ジョン・スミスの命を嘆願するポカホンタス

ジョン・スミスに、ポウハタン族の奇襲計画を密告するポカホンタス

イギリス入植者とポウハタン族は4年間戦争をしていて(First Anglo-Powhatan War,1609)、1607年に104人で上陸したイギリス人は1609年冬の終わりには飢饉により60人が死亡しました*1。この中で、ポカホンタスはうち1年間は捕虜として拘束されていました。そしてこの間に英語を教えられ、宗教的指導を受けた上、1614年には洗礼を受け名を「レベッカ」とします*2

脚色が強いと言われるポカホンタスの洗礼の絵

1614年にポカホンタスイギリス人タバコ事業家のジョン・ロルフと結婚して、1616年にジョン・ロルフはバージニア会社の招待でイギリスへプロモーション旅行に行きました。

イギリスではポカホンタスバージニアの王族として迎えられ、毎年恒例のホワイトホールでの舞踏会にも招待されました。(ディズニーのポカホンタス2でも、ポカホンタスがイギリスの舞踏会に招待されるシーンがあります)

1617年にジョン・ロルフがバージニアに帰る準備をしていた折、ポカホンタスは体調を崩して亡くなったそうです。ジョン・ロルフは息子をイギリスに残して再びバージニアに帰還し、息子とは二度と会うことがなかったそうです。
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結局ポカホンタスは、「ポウハタン族を裏切った」のか「捕虜になりイギリス文化を受け入れることを余儀なくされた」のか、はたまた「イギリスと先住民の文化をつなぐ大使のような役割を担った」のか、議論は続いていると説明されていました。

ポウハタン族の血を引くネイティブアメリカンは、現在も8つのグループに分かれ存在しているそうです。

 

(5)ジェームズタウンに着いたイギリス船

人が多かったので写真を載せていませんが、船員のベッドなども再現して作成されていました。子供はここが一番楽しかったようです。

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6.Colonial National Historical Parkに行きました

国立公園の年パスを持っているので、無料でいけると思っていましたが、半分ほどのエリアは別料金で、大人は$15かかりました。お目当てのポカホンタス像が有料エリアだったので渋々支払い・・・。

(1) イギリス人が初めてたどり着いたのはここです

国立公園では、実際の跡地を持っているようで、イギリス船が上陸した跡地を見ることができました。

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(2) ポカホンタス

博物館コーナーは時間がなくて寄れなかったので、こちらではポカホンタスがどう書かれているか確認できませんでした。しかしこちらのポカホンタス像は一度見たかったので、確認出来て嬉しいです。

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(3)ジョン・スミス像

ポカホンタス像と離れた場所に、海に面した状態でジョン・スミス像がありました。

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7.ディズニー版「ポカホンタス」は子供向けの教材としてありがたい

「創作が強い」と批判のある、ディズニー版ポカホンタスですが、子供向けには大変ありがたい教材でした。
Jamestownの説明は、子供(5歳男子、3歳女子)には難しいと思う部分もありましたが、頭の中にざっくりポカホンタス側=アメリカ、インディアン」「ジョンスミス側=イギリス、船でやってきた」という2つのイメージがあり、子供なりに楽しんでいたように思います。

5歳息子が一番楽しかったのは「Jamestown Settlementのイギリス船」、3歳娘が一番楽しかったのは「国立公園のポカホンタス像で写真を撮ったこと」と言っていました。

*1:国立公園パンフレットより

*2:Jamestown Settlementの展示より

スミソニアン自然史博物館の宝石の展示を羅列する

自然史博物館の目玉展示、宝石

もう何度も訪問しているスミソニアン自然史博物館ですが、宝石の展示についてメモを残そうと思いました。

<目次>

 

1.ホープダイヤモンド

1958年にハリー・ウィンストンによって寄贈されたホープ・ダイヤモンドは自然史博物館の目玉のひとつです✨
採掘元はインド?ですが、かつて17世紀にルイ14世が買い取った後、フランス革命が起こるまではフランス王室にあったようです
再び19世紀になり姿を現し、記録によればロンドンの銀行家ヘンリー・フィリップ・ホープが購入し、このため「ホープ・ダイヤモンド」の名がついています。
20世紀にアメリカの名士、マクリーン夫人が買収してからはアメリカにあり、最後はNYの宝石商ハリー・ウィンストン保有し、スミソニアンに寄贈しています。だからアメリカにあるんですね。

回転台の上でクルクル回りながら展示されています。動画から切り出したので、ちょっと画質が荒いです。

naturalhistory.si.edu

2.歴史上の宝石

(1)ナポレオンが妻に送ったネックレス・王冠

1811年、ナポレオン1世が第二夫人のマリー・ルイーズに息子の誕生を祝ってプレゼントしたネックレス。
王冠は1810年の結婚式で贈られたもの。オリジナルはエメラルドだったが、1950年代に、当時所有していたヴァンクリーフ・アーペルがターコイズに交換してしまったのこと。取り外したエメラルドは「歴史的なナポレオンのティアラからエメラルドをあなたに」と銘打って販売😂ええー!!!!?!?

(2)マリー・アントワネットのイヤリング

フランス国王ルイ16世が王妃マリー・アントワネットに送ったダイヤです💎

3.その他いろいろな宝石

(1)ルビー

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(2)サファイア

423カラット、16のダイヤに囲まれた「ローガン・サファイア・ネックレス」

左はハリー・ウィンストン社のホールサファイアとダイヤのネックレス(195カラット×36個)、右はカルティエ社のビスマルクサファイアネックレス(98.6カラット)。

(3)ガーネット

Lion of Merelani Tsavorite Garnet(116.76カラット)

(4)イエローダイヤモンド

Hooker家から寄贈された、起源不明のダイヤモンド。ネックレスは合計245カラット、イアリングは各25.3カラット、指輪は61.12カラット。

(5)エメラルド

Hooker家のエメラルドのブローチ

マッケイ・エメラルド:アメリカの資本家マッケイ・クラレンスが1931年に妻に贈るためカルティエ社にオーダーしたもの。妻は1909年から1920年までNYメトロポリタンオペラでプリマドンナを務めたアナ・ケーシー。

Gachala Emerald:カット前の858カラットのエメラルド。

 

インドのエメラルドネックレス:1928~1929年にカルティエ社が作成。

(6)ダイヤモンド

左:ハリー・ウィンストン社のHazen Diamond Necklace / 右:カルティエ社のMarquise Diamond Ring

Pearson Diamond;無色で完璧な高品質ダイヤモンド

(7)ピンクダイヤモンド・レッドダイヤモンド

ピンクと赤のダイヤモンドは、原子配置の欠陥により算出されているといわれ、世界でも特に珍しい。赤いダイヤモンドが一般に展示されているのは世界でここだけ。

(8)ブルーダイヤモンド

30.62カラット、ハリー・ウィンストン社製。

(9)コニャック・ダイヤモンド

Victoria Transvaal Diamond Necklace

Thompson Diamonds:ハリー・ウィンストン社製

(10)オッペンハイマー・ダイヤモンド

左の黄色がかったダイヤモンドは、アフリカで採掘されたダイヤの原石。宝石商ハリー・ウィンストンが、ダイヤモンド鉱業社であったアーネスト・オッペンハイマー氏の死を悼んでスミソニアン博物館に寄贈したもの。

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(11)トパーズ

巨大なトパーズの原石

驚きの12,555カラットのトパーズ

 

アメリカ現地校2年目:ママ業の悩み

英語力の向こうにあった、より大きな不安

現地校1年目は、日本人のお友達をベースに過ごしましたが、2年目はほぼ完全に英語のお友達と交流するようになりました。
地域や学校によっては、1年目から完全に英語のコミュニティに入られる方も多いと思いますが、我が家は日本人の多いエリアに住んでいるため、こういう感じでした。

 

アメリカに住んでいるので、子供も英語が話せるようにならないと学校生活に困るだろうということがあり、私自身、1年目は「子供に英語のお友達を作ってあげること」を小目標にしていたので、目指していた状態に到達しているとも言えます

しかしせっかく小目標を達成したのに、親の私にとってはなぜか、この毎日が本当に疲れるし、苦しいのです。

書き出して心を整理したいと思います。

〈目次〉

1.細かな文化差 例:断り方

ひとつひとつは細かく、全く深刻ではないのですが、細かな文化の違いを感じることがあり、これに疲れることがあります。

例えば、何かの誘いを断るとき。「プレイデートに誘われたが、単に気乗りしないので断りたい」という状況があるとします。


日本人であれば、たとえ先約がなかったとしても「ごめんなさい、明日は先約があって・・・」などと噓の理由を付して、ちゃんと返信をくれることが多いですが、アメリカの方だと「行けないんだ、ごめんね!」(理由は特に付していない)だったり、酷いと返信すらなかったりします。というか、基本的に気乗りしない内容には返信しないカルチャーのようです(※)

じゃあ「返信がない=気乗りしないからナシで!」と解釈してよいかというと、そうじゃないケースも割とあって、メールが届いていない(名簿の間違い、アプリの不都合など)ケースもそれなりにあって、結構ややこしいのです。これが疲れます。

(※)アメリカ入国時に保活をして、5~6園にメールを送りましたが、返信をくれたのは2園だけでした。他の園は、空きがなかったのかと思います。「空きがありません」という返信をせずに、単に無視されたものと思います。この手「都合悪い場面では返信しない」話は、あらゆる場面で聞きます。

 

こういう文化的背景があってもやっぱり、来るはずの返事がこなかったり、(私が期待するよりも)雑な感じで断られると、どうしても「あれ、私嫌われているのかな」「何かまずいことをしたかしら」と思ってしまうのです。疲れます。

2.現地の子とトラブルを起こしたら終わりだ、というプレッシャー

幸い今年度は意地悪な子もいなくて、子供達は現地のお友達とそれなりに仲良く楽しく過ごさせていただいているようです。

しかし我が子達は言葉も拙く体も小さく、こどもコミュニティの中では弱者であることは間違いありません。

現地のお友達の善意のバランスの上で、平和な毎日を過ごせていますが、ある日誰かの心に悪意が芽生えてしまったら?という不安が拭えず、仲良しのお友達ができても、いつまで経っても、心から安心することができません。

我が家は他の現地ママさんのように、学校側と濃密にコミュニケーションが取れているわけでもないし、何か起こったら圧倒的に弱い立場だな、と日々思うのです。

 

3.経済力の差、話題のズレ

メンタル面の疲労以外にも、あまりに生活環境が違いすぎて困ることもあります。

例えば経済力の差… 主に自宅の設備差です。当たり前のように、お友達親子同士でお互いの自宅へ招き合いをしたりしますが、我が家は他のネイティブ家庭の1/10?くらいの自宅(マンション)に住んでいるので、どうしても快適な時間を提供できません。マンション暮らし同士なら気楽なのですが… 

 

また、アメリカ人ではなくかなりレアな国の出身の方だと、相手国への知識が無さすぎて、「何か失礼なことを言ってしまったらどうしよう」と不安を抱えながら話しています。共通の話題もほぼありません。

(これはイカンと、世界中の現代社会や、宗教の基礎知識の勉強をし始めました)

 

4.日本人コミュニティから少し離れてしまった寂しさ

というわけで、どこまで行っても現地ママとの間には心の距離を感じるわけですが、日本のコミュニティからも少し距離ができてしまったように思います。

子供達同士も、日本人同士で「いつものグループ」があるように見えますが、自分の子供達がどこにも属していないことに不安を感じることがあります。

 

5.ずっとグローバルコミュニティの中で暮らすのは、すごく大変に思えた

初めのうちは「初めての英語のお友達」「初めてのプレイデート」「たくさんプレイデートに誘われるようになってきた」…と、英語のお友達との関わりが増える度に新鮮さがあり、毎回嬉しく思っていました

子のプレイデートに限らず、ママ同士の遊び(お料理会など)も積極的に参加してきたように思います。

しかしこれが「日常」としてずっと続くと考えると、とても大変なことに思えて、気が遠くなりました。子供たちではなく、母の私が・・ついていけないのです。

周囲の方は良い人ばかりだし、何か悪意を受けたわけでもないのに、なぜかこちらの精神が勝手に消耗してしまいます。

背景には、自分の英語への自信のなさや、人種差別意識への恐れ、私の元来のネガティブ思考など様々な要因があります。

子供が友達を作り快適に学校生活を送るようになっても、母は引き続きアウェーな感覚がしばらく残ります、、、その中で、子供が何とか生き残れる程度の情報収集をしていかなければならないのです。異国のママ業はかなり孤独であると感じました。

 

6.アウェーな環境にはポジティブマインドが必要、という発見

昨年は昨年で「せっかくアメリカに来たのに、日本人とばかり交流している」ということに悩んでおり、英語の友人作りにも力を入れていました。

しかし実際にネイティブの友人が増えると、英語力の他にも感覚の違い(いわゆる「ノリ」)、人種差別への恐れ、政治宗教などの教養(マナー破りの会話をしないスキル)など様々な壁があり、自信を持って会話することができず、毎日疲れを溜める形になりました。

でも正直、気にしていたらキリがないこともある…。

むしろ、こうした細かいストレスを感じないポジティブさ、タフさ。少々のことで落ち込まない自己肯定感。楽しい話をできるユーモア。言語を超えて共有できる趣味。そういったことも必要に感じます。

子供達には、ぜひポジティブマインドを持って成長してほしい。英語力と同じくらいの武器だと思います。

 

 

 

ワシントンD.Cの桜が満開でした!

さて今年も桜が満開になったので、タイダルベイズンに桜を見に行きました。

今年は開花予想が当初の3/23ー26から、3/18ー20と大きく前倒しになったので、昨年よりも空いていた気がします。

 

今年も美しく、心洗われる桜でした。

アメリカの桜は、花が集まって大きなボールのように丸く実り、パワーを感じます。

あと本数がとにかく多く、どこまで行っても桜がつづいています。こんなにたくさんの木を植えようという考え方自体が、アメリカンだと思いました🇺🇸🇯🇵

 

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グラウンド・ゼロ&ニューヨークの街並み

歩いているだけで楽しいニューヨーク

<目次>

1.グラウンド・ゼロ

今回は時間が足りなくて9・11博物館に行けなかったのですが、グラウンド・ゼロにいくことができました。自由の女神のフェリー降り場から徒歩15分ほどでした。

グラウンド・ゼロの直前に、テロの様子を掘った壁面を見つけました。

9・11テロの様子が銅壁面に掘られていました

おそらくツインタワー跡地に、同じ敷地サイズで作られている記念碑は、想像よりとても大きなものでした。「こんなに大きなビルが破壊されたのか・・・」と驚きます。
ところどころ、お名前のところにアメリカ国旗やバラの花が供えられていました。

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2.五番街

どこを見てもかっこいい5番街。歩いているだけで楽しかったです。

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3.聖パトリック協会

全米最大のカトリック教会と言われる聖パトリック協会。5番街に突然出現します。この日はSt.Patrick Dayだったので、アイルランドの旗がかかっていました。
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4.ロックフェラーセンター

遠くから見ても異彩を放っていたロックフェラーセンター。近くで見たかったけど、時間がなくてお見送り。
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5.ウォールアートがすごい

壁面にいろいろな絵が描いてあるのがニューヨークっぽいです。
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6. アメリカっぽいお土産

子供たちは、国鳥のハクトウワシと、アメリカバイソンの人形を買ってもらっていました。かわいいです。
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自由の女神は笑っていなかった

いつかは行こうと思っていた「自由の女神

さて駐在も(たぶん)ラスト1年、未消化todoのリストをこなしてまいります。
重い腰を上げて、自由の女神様を見に行ってきました。

<目次>

1.戦没者記念碑

駐車場から歩いていく途中、フェリー乗り場の直前に戦没者記念碑がありました。

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2.フェリー「Ms.Liberty号」

フェリーは時刻指定があり、平日であっても満員でした。中には椅子もありましたが、往路はみなさん女神の写真が撮りたいので、立って看板に上がっている人が多かったです。
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フェリーから見るマンハッタン島がきれいでした。なぜかカモメが船を追いかけてきます。
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本当はフェリーからもすごくきれいに女神が見えるのですが、娘のお守りのおかげで少ししか見られず・・・

 

3.上陸。たっぷり女神さまを見ることができます

フェリーを降りると少し歩いて、女神の台座の中に入りに行きます。道すがら、最もきれいに女神が見えるので、みなさん止まって写真を撮っていました。
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4.台座より見上げる女神

エレベーターで5階分あがり、台座部分に到達することができます。台座から眺める女神は中途半端でこんな感じです。どちらかというと、マンハッタン島の眺望を見るための展望台のような役割です。1か月以上前に予約が必要と聞きますが、80段以上の階段を上ると、女神の冠に入ることもできるみたいです。
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5.自由の女神博物館

建築史やモチーフについて解説のある博物館が併設されています。

もともと自由の女神アメリカ独立100周年にフランスから送られたものですが、デザインはフランスの画家ドラクロワが描いた、フランス独立戦争をモチーフにした「民衆を率いる自由の女神」を参考にしている旨の解説がありました。
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博物館のギフトショップではたくさんの絵本。

自由の国アメリカをあらわすモチーフとして、子供のおもちゃ等にも使用されている旨の展示がありました。
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フランスから寄贈された当時の「初代のトーチ」の展示がありました。
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自由の女神の実物大の顔もありました。

フランス人にとって、自由は革命で「勝ち取ったもの」であり、自然と降ってきたものではありません。厳しい表情をしていることにも納得でした。事実、アメリカは自由の国ではありますが、同時に自助と自己責任の国でもあるので、自由とは、厳しい一面もあるように思います。女神がヘラヘラと笑っていないことについて、深く納得しました。

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このほか「エマ・ラザラスの詩」について解説があったり、帰りのフェリーの途中には移民博物館のあるエリス島があったり、かつて「移民国家アメリカの歴史」という本で学んだ内容が解説されている場所が多数あり、「ああ~~じっくり見たい!」と思いましたが、そこは子連れなので諦め。

しかし、この自由の女神が笑っていない」という事実は、強烈に自分の中でインパクトがありました。自由の大切さ(当たり前のことではなく、戦って手に入れたものであること、厳しさ(自己責任とのセット感)を象徴しているように感じます。きっと一生忘れないと思います。

【関連】

nazekadcniimasu.hatenablog.com